大河ドラマ西郷どんでは「大久保利通」は「瑛太」さんが演じています!

大久保利通の似顔絵イラスト

他のキャストの簡単な情報はこちらをご覧ください→大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!

西郷隆盛と一緒に維新の三傑に選ばれた大久保利通ですが、地元鹿児島では頗る評判が悪いです。

そのあたりもみながら、大久保利通を解説していきたいと思います!

それではいってみましょう!

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大久保利通年表!

西暦年齢出来事
1830年薩摩藩の下級藩士大久保次右衛門の長男として生まれる
1844年14歳元服し、正助と名乗る
1850年20歳お由羅騒動に巻き込まれ謹慎処分
1853年23歳島津斉彬に仕える
1862年32歳一蔵と名乗る。

島津久光側近となる。

寺田屋事件

1864年33歳禁門の変(長州と戦わざるを得ない。長州との関係は最悪)

第一次長州征伐。

1865年35歳利通と名乗る。

第二次長州征伐

1866年36歳薩長同盟(坂本竜馬仲介のもと)
1867年37歳四侯会議開催。「松平春嶽(福井藩)・島津久光(薩摩藩)・山内容堂(土佐藩)・伊達宗城(宇和島藩)プラス徳川慶喜

薩土盟約。(薩摩と土佐藩との盟約)

三藩盟約。(薩摩と長州藩と広島藩との盟約)

大政奉還

王政復古のクーデター成功。(江戸幕府の終焉、新政府の樹立)

1869年39歳明治政府参議。版籍奉還(土地と人を朝廷に返す)、廃藩置県(藩をやめる)実施。
1871年41歳大蔵卿(財務大臣)に就任。

岩倉使節団の副使として外遊。

1873年42歳内務卿(国内行政大臣)に就任。学制、地租改正、徴兵制を実施

征韓論(韓国を武力で開国させる)は退ける。(西郷隆盛下野)

1877年46歳西南戦争に政府軍として西郷軍と戦う。
1878年47歳紀尾井坂にて暗殺される

西郷隆盛との関係は?

下鍛冶屋町時代

西郷隆盛と同じ下加治屋町の郷中で育っていきます。

彼らは同志であり、親友でありました

学びは、胃が弱かったので武術ではなく、学問や討論を中心に才能を伸ばしていきました。

大久保利通の父親の次右衛門は郷中の指導者で、西郷隆盛も良くいろんな話を聴きに大久保家に通っていました。

お互い貧しいですが、夢があり、切磋琢磨し、どんどん成長していった時期です!

お由羅騒動

その後、島津家の後継者争いである「お由羅騒動」の煽りをもろに受けることになります!

騒動後、大久保利通は職を解かれ謹慎処分となってしまいます!

そして父親も鬼界島へ島流しの憂き目に会います!ああ!

 

この時期は、大久保利通にとって相当貧乏で、かなり困窮極まる暮らしでしたが、

西郷隆盛は、そんな大久保利通を援助していました!

 

苦難の時代ですが、お互いに助け合いながら乗り切っていった時期です!

藩の仕事に復活(精忠組)

島津斉彬が藩主になると謹慎が解かれ、職を得ることが出来ました!ホッ。

また、大久保と西郷は同じ思想グループ、後の精忠組近思録※を輪読する会)のメンバーとして、藩の為に仕事をこなしていくようになっていきます!

※近思録とは、『朱子学(知と礼を重んじる学)』の入門書のこと

 

藩の政治に絡んでいけるようになった時期です!

お互いに少年時代には考えられなかったポジションに就くことになります!

 

島津久光の側近となる

島津久光が藩主の父として実権を握るようになると、手紙作戦で久光に大久保自身を売り込みます!

それが功を奏して藩の政治の中核に潜り込んでいくのです!

西郷隆盛は、身を隠さなければならなかったため、奄美大島に隠れています。

その間も、大久保は随時情報を西郷に流しています

場所は離れてても心は一緒!

精忠組の終焉(寺田屋事件)

大久保、西郷らが集まるグループ精忠組は、島津久光のもとで仕事をしていきますが、

その中、有馬新七など一部が過激派となってしまいます!

その過激派を説得、無理なら討ち果たすように同じ精忠組に久光が指示します!なんという!

結果、説得は失敗!

行き着いた先は最悪の同士討ち「寺田屋事件」が起こってしまうのです!

これにより完全に分裂した精忠組は、事実上崩壊となります!

この事件の時の、大久保と西郷の心情、どれだけの悲しみか!!!

倒幕への流れの中で!

3年弱ほど西郷は久光の怒りを買い、島流し(徳之島、沖永良部島)されていたので、大久保は西郷と一緒の行動は出来ませんでした。

しかし、天皇の元に賢侯を集めた中央集権政府を目指す薩摩藩の主張を通すには、藩の人材不足が問題化されてきました。

そこで、大久保は西郷を呼び寄せるように久光を説得し、それに成功します。

ここで再び、政治力の大久保、戦争名人の西郷の最強コンビが復活!

1864年から1867年にかけて一気に事を進め倒幕から王政復古で、明治新政府を実現させるのです!

明治維新設立

明治新政府では、大久保は外務卿として外交を、西郷は参議として主に陸軍を任されていました。

出だしは良かったです!

そして、大久保が岩倉使節団の一員として日本を離れ外国へ2年弱行ってしまいます!

これが運命の分かれ道!

大久保たちがいない、留守の政府を任された西郷達。

ここで大久保と西郷の仲を切り裂く決定的な問題が起こりつつあるのでした!

「征韓論」です。

征韓論

簡単に説明します。

きっかけ朝鮮は明治新政府の国書受取を拒否。その後の朝鮮外交を日本政府はどう対応するか?という問題。

外遊中の大久保らがいない、西郷たちが中心の留守政府で話し合われる。

 

はじめの選択肢1、朝鮮と話し合いで解決(遣韓大使論)西郷隆盛派

2,朝鮮を武力で制圧(征韓論)板垣退助派

その後の会議で1,西郷派案(遣韓大使論)にまとまる
外遊から帰った大久保が閣議参加する西郷派案に大久保たちが反対。大久保が参議を辞表表明するに至る。
なぜ大久保は反対する?外国よりもまず、国内の治めることを優先させたいと考えていたため。
結果一度まとまった西郷派案は無期限延期になる
西郷は?陸軍大将兼参議を辞職し鹿児島へ帰る。

大久保との仲は決定的に決裂する!!!!

 

その後、大久保は国内を強化する方向に舵をとります。

それに対し、西郷隆盛は、鹿児島で、私学校を運営しながら、

自宅や温泉地で自らの体を療養しながら過ごします。

その緩やかの時の流れの中、確実に大久保と西郷との最終決戦が近づいていったのです!

西南戦争勃発

きっかけ明治新政府主導のもと、徴兵令(武士の廃止)と廃刀令(武士、士族の特権無くなる)の実行により、元武士たちの怒りが原因。
直前の政府(大久保)の動き西郷を中心とした私学校生徒達が反乱を起こすのを警戒していた。

その為、戦争で使う弾薬庫を私学校生徒たちに使われないように、公示無しで運び出してしまう。

直前の西郷、私学校生徒の動き西郷は狩猟をしていたが、私学校生徒は公示無しで弾薬を運び出す政府を見て、約束違反として襲いかかる。これに巻き込まれる様に戦争に発展する!
大久保と西郷が決裂する決定的な事柄西郷は、政府からの、【西郷を「シサツ(刺殺)(視察との間違いだったが)」せよ!】という命令を大久保が同意していると解釈した。

 

征韓論(遣韓大使論)押しの西郷隆盛と西南戦争にて戦うことになり、

西郷をその戦争で自害に追い込みます。

幼馴染とのガチの戦争!悲しい限りです、、、、。

 

その翌年、大久保は西郷の手紙をみながら暗殺によりその生涯を終えます。悲。

征韓論のバカヤローーーーー!

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では、最後は幼馴染と完全に別れた大久保はどういう人だったか簡単にみてみましょう!

性格、人柄

仕事では、とっても冷徹でしたが、家庭ではとても家族を思いやる人でした。

人柄は相当寡黙で、相当威厳があり、相当理論家でした。

人斬り半次郎で知られる桐野利秋もお酒の力を借りないと意見できなかったといいます。いや、お酒の力を借りても意見できなかったそうです!

国の為に生きた大久保は、予算が不足すると私財を投入していたため、死亡した時8000円(今の3000万位?)ともいわれる借金があったといいます。(しかしながら、殺害された後、遺族は明治天皇から3万円(今の1億円位)賜ったといいます。チャラにして相当余りある金額でした!)

子孫が豪華!

家庭を大事にしていた大久保利通ですが、その子孫からは著名な人が多く出ています。

表にしてみましたのでご覧ください!

 

名前続柄備考
大久保利和利通長男貴族院議員
牧野伸顕利通次男内外務大臣

パリ講和条約全権

 

大久保利武利通三男大阪府知事
大久保利賢利通八男横浜正金銀行頭取(三菱UFJ

銀行 の前身)

牧野雪子牧野伸顕娘元首相吉田茂の妻
吉田和子牧野雪子、吉田茂娘元首相麻生太郎を産む
植村花菜利通子孫シンガーソングライター(代表曲トイレの神様)

この他にも、大学の学長や、放射線研究所の理事長や、丸紅の専務や通産省事務次官などなど、、、。

あげればきりないほど日本の上層部で活躍されている人を輩出しています!

ひときわ目立つのが、元首相麻生太郎!

現在の副総理兼財務大臣ですね!

大久保利通のような冷酷さはそれほど感じませんが、決断力や場を見る力などは、やはり相当なものをお持ちなんだろうと庶民からみても感じます!

政治力もズバ抜けているのでしょう!でなければ一強自民党の幹部に居座り続けることなんて出来やしないですよ

これも血筋の成せる技!!

まとめ

大久保利通は、幕末の動乱期をまとめ上げ、明治新政府を立ち上げ制度を整備していったかなり有能な人物でした。

しかしながら、寡黙で、冷徹な理論家の利通は、人気がありませんでした。

(家族だけは別!)

西郷隆盛を死に追いやったり、藩を無くしたり、地元鹿児島の人には特に不人気です!

しかし、その子孫は華麗なる一族的に、日本にとって、重要人物を多く輩出しています!

麻生太郎さんはその最たるものですね!

歴史、血筋って面白いもんです!

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