島左近(しまさこん)とは、戦国時代に石田三成の家臣で、関が原を戦った武将のことです。

 

映画「関ケ原」をみて島左近公を知った方も多いのではないでしょうか?

戦国BASARAや無双OROCHIなどゲームにも登場していますね。

 

その島左近公はどんな人だったのか?

コチラを参考にしてみて下さい!

 

関連記事:「関ケ原」出演、平岳大さん演じる島左近公の男としての魅力をお伝えします!

 

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

 

さて今回は、琵琶湖のほとり佐和山城の麓にあった島左近公の屋敷の跡に建てられた清涼寺というお寺をご紹介します。

清凉寺は、鉄砲傷が原因で亡くなった井伊直政公を弔うために建てられた、井伊家の菩提寺でもあります。

この清凉寺に今も伝わる7不思議について書いて行きたいと思います!

 

なぜ清涼寺の7不思議について書こうと思ったかというと、石田三成と最後関ヶ原で戦った、島左近公の魂が息づいているように思えてその逸話を是非あなたに知って頂きたい!と思ったからです。

 

そして、この逸話を通じて、島左近公のセンス(想像です)も垣間見れますので、それを知って島左近公を好きになって貰えればいいな!と思ったからです!

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清涼寺に伝わる七不思議

清涼寺の七不思議 其の一「唸り門」

まず最初に入り口の門です。

清凉寺山門

 

清涼寺の正面にある「山門」は、江戸時代に焼けるまでは島左近公の屋敷の門がそのまま使用されていたと言います。

 

この「唸り門大晦日になると風が吹いている訳でもなく、誰かがいるわけでもないのに低い唸り声が聞こえてくるというのです!

 

これは、島左近公の唸り声ではないでしょうか?

 

関ケ原での無念が、1年の終わりに現世に戻ってきて唸りの声を上げていたのではないでしょうか!!!

おお!!執念を感じます!

 

清涼寺の七不思議 其の二「左近の南天」

南天の木

境内の参禅道場の手前に樹齢500年になる「南天の木」が植わっています。

(南天とは難転とも書き、災い転じて福となす意味もあり、縁起の良い木とされています)

この木は、島左近公が生前、とても良く面倒を見ていた木と言われています。

(木も愛でる、そういう優しさも持ち合わせていたのですね!)

 

島左近公の魂が亡くなってからも残るのか、この南天の木を触ると腹痛を起こすと言われています!

迂闊に触ることが出来ませんね!

 

腹痛と言えば、島左近公の主人石田三成公は、お腹が弱かった事で有名ですが、なにか関係があるのかもしれませんね?

 

清涼寺の七不思議 其の三「木娘」

タブノキ
引用:http://ionam.jugem.jp/?eid=115

本堂前にある、佐和山築城以前からある樹齢750年の「(たぶ)の木」(良く寺の周りを囲んでいる大木のことです)。

この木が江戸時代に夜な夜な「娘」の姿に化けて参拝客を驚かせたと言います。

 

これは、島左近公は生前、男前すぎてかなり女性にもてていました

その中でも、特に若い女性から人気があり、その数は数知れずです。

遊郭ににもしょっちゅう遊びに行っていて、贔屓の女の子も何人もいたようです。

関連記事:「関ケ原」出演、平岳大さん演じる島左近公の男としての魅力をお伝えします!

 

その何人?何十人?何百人?の内の誰かがこの木に乗り移ったのではないでしょうか?

これは私の勝手な憶測ですが!有り得る話かなと思います!

 

清涼寺の七不思議 其の四「壁の月」

月 天体 お月様 ムーン moon 空 三日月 クレセントムーン 夕月 夜 夜空 月夜 光 月光 クレーター 月面 天体観測 宇宙 衛星 風景 お月見 細い月 ムーンライト スカイ sky 自然 背景

関ケ原の戦い後、島左近公屋敷の居間を移築し、清涼寺の方丈(住職の住む部屋)としましたが、ここの壁に「月の形」が浮かび上がると言います。

 

何度塗り直しても浮かび上がるというのです!!!

どういうことでしょう!

 

これは、島左近公の兜の前立が月の形をしていて、それが魂となり部屋の壁に映り続けたと言われています!

 

すごいです。兜の前立まで乗り移っちゃうなんて!!!

 

清涼寺の七不思議 其の五「洗濯井戸」

清凉寺井戸

島左近公は生前茶道を嗜まれていて、その茶の水を境内の高台にある井戸の水を利用していました。

 

井戸の奥には井伊家のお墓が並んでいます。

清涼寺は井伊家の菩提寺としても知られています。

★その他の井伊家の菩提寺はこちらの記事をご参照ください。

豪徳寺の招き猫の由来とご利益の効果は?アクセスはここ!

 

 

杜甫(中国の詩人)の詩を愛するなど、「武」だけでなく「文」のほうも堪能していた島左近公ですが、茶道の方も楽しまれていたようです。

 

モテる男は文武両道!男の魅力をさらに高めますね

 

その井戸の水を汲んで、汚れたものを付けておくと、一夜にして真っ白になるといいます。

(そんな水欲しい!なんていうと不謹慎ですね、、、。)

 

これも島左近公の魂が宿っているのでしょう!!

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清涼寺の七不思議 其の六「血の池」

関ケ原後の佐和山城の戦いの際、石田三成公の親族の親族含め、たくさんの死者が出ました。

その時の血が城から流れて、境内の一角にある池に流れ込んだと言われています。

 

それ以来、その池に夕刻になると血みどろの女性の顔が映ると言われています。

 

石田三成公の妻もこの時に果てていますから、もしかしたらその魂が池に乗り移ったのかもしれません!

 

天下分け目の戦いといっても、実際は人と人とのころしあいです。

 

悲しみや苦しみや痛みが戦争には凝縮していますよね。

 

戦いはどうしてもなくならないとしても、ころしあわずに済む戦いをやはり望みます!

 

亡くなられた方には、本当にお悔やみを申し上げます!!

 

清涼寺の七不思議 其の七「佐和山の黒雲」

清凉寺

関ケ原の戦いの後、この佐和山一帯は井伊家(井伊直政)が治めることとなります。

関連記事:「三成に過ぎたるものが2つあり 島の左近に佐和山の城」の城調査!

その井伊家の家臣が、戦利品虫干し(甲冑や兜等を洗って干していたのでしょう)していた所、突然黒い雲が湧き出て強風になり戦利品をさらっていったといいます!!

 

亡くなられた石田家の家臣の方のせめてもの抵抗がこの黒い雲に乗り移り、風を吹かせ、戦利品を奪い返したのではないでしょうか?!

 

石田家の方々の無念がひしひしと伝わる一件です!!

まとめ

7つの不思議はいずれも関ヶ原、佐和山城落城に起因しています。

一つ目の不思議「唸り門」

二つ目の不思議「左近の南天」

三つ目の不思議「木娘」

四つ目の不思議「壁の月」

五つ目の不思議「洗濯井戸」

六つ目の不思議「血の池」

七つ目の不思議「佐和山の黒雲」

 

清涼寺にお立ち寄りの際は、7不思議に想いを馳せながら見学されるとより深く鑑賞できると思います。

 

その際は、石田家の方々へのご供養もお忘れなく!

基本情報

住所滋賀県彦根市古沢町1100
電話番号0749-22-2776
電車JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車 徒歩 龍潭寺まで25分

(レンタサイクルで10分ほど)(1.5キロほどです)

 名神高速道路・彦根ICから10分。
駐車場普通車 20 台
大型車 5 台(無料です)
見学境内以外は基本的に非公開です(境内見学は無料です)
地図
おすすめの宿

佐和山城に一番近い宿です!

お薦めお土産

近江牛を使ったおせんべえです!

 滋賀県観光公式サイトhttps://www.biwako-visitors.jp/eat/

 

島左近公をもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事も楽しめる内容となっております!