豊臣秀吉のはじめての居城「長浜城」
36歳の若き豊臣秀吉が築城したはじめての城です!
今回は、秀吉出世の足がかりになった、長浜城と、近くの石田三成と豊臣秀吉の出会いについても
触れてみたいと思います。
長浜城由来
もともとこの地は長浜ではなく、今浜と呼ばれていました。
築城前、浅井長政攻めで功績をあげた豊臣秀吉は、浅井氏の領地を引継ぎ
もともと今浜と呼ばれていたこの地を、織田信長の「長」をもらい
「長浜」と改名し、そして築城しました。
長浜城は水城
滅んだ浅井氏の居城は小谷城ですが、その城下町を長浜にそっくりそのまま移築したようです。
ここで城下町を創ることは、今後の秀吉の城下町作りの基本となります。
参照:日本100名城小谷城は浅井長政とお市と茶々・初・江が住んだ山城!
長浜での経験が大坂の大都市を成り立たせたといっても過言ではないでしょう!
そして、琵琶湖に面した水城だったようで、船着き場とかも城内にあり、水陸ともに機動性に高い城だったと言えましょう。
今ある天守は大津城などをモデルに復元されたものですが、当時のものが各地に残されています。
搦手門は知善院の表門、大手門は大通寺の台所門、天秤櫓は彦根城に移築されて当時の姿を偲ぶことが出来ます。
彦根城天秤櫓
参照:日本100名城国宝彦根城攻略!井伊直弼の生まれた場所!ひこにゃんは?
琵琶湖に面するところに井戸の石碑が残されています。
今は水位が増加しているようですが、城としてどんな全体像だったのか?
気になるところです!
妻おねと一緒に仲睦まじく、(いや、争いは絶えなかったでしょうが汗)住んでいたのでしょう。
そして、いきいきと上を目指して試行錯誤していた豊臣秀吉が目に浮かびます。
石田三成との出会い
この長浜で出会った豊臣秀吉と石田三成には有名な逸話があります。
鷹狩していた秀吉が立ち寄った寺で茶を所望した秀吉に、三成が気を効かせた茶の出し方をした「三献の茶」です。
参照:石田三成公と食べ物!
その寺は「三成水汲みの井戸」がある米原市の大原観音寺説と、関ケ原後三成が隠れた長浜市古橋にある法華寺三珠院説があります。
その後、様々なドラマを生み出す二人の出会いは、とても感慨深い物があります!
長浜城基本情報
アクセスーJR北陸本線長浜駅 徒歩10分
長浜城歴史博物館(天守閣内)ー開館(9時~17時)400円
最後に
長浜城跡は現在は豊公園という公園になっています。
長浜城は織田信長が琵琶湖の4面に部下を配した城の一つです。
(安土城、坂本城、大溝城、そして長浜城)
参照:日本100名城安土城は織田信長が住んでいた!アクセスと周辺施設ご紹介!
織田信長が天下を取る上でも重要な城でした。
もちろんその後を引き継いだ豊臣秀吉が天下を取る為の実力を醸成していった場所として
とっても重要な城です。
城内には樹齢400年といわれる木もあり、目を閉じるとこの地を歩いていた秀吉を
思い描くことが出来ます。
周辺施設攻略記事!→岐阜から滋賀まで織田信長と明智光秀と関ヶ原高速体験記!