小谷城は戦国武将浅井長政・市・茶々・初・江が住んだ日本屈指の山城です!

小谷城

浅井3代が住み、北近江支配の中心となった小谷城。

そして、その後の戦国時代から江戸時代初期まで影響を及ぼす3姉妹達。

今回は、小谷城についてと、その城主、浅井長政とその家族について見てみたいと思います。

小谷城は浅井3代の居城

浅井氏はもともと京極氏の家臣でした。

(京極氏は室町時代に四職と呼ばれる中央政府の重職を務める名門)

その家臣団の中から頭角を表したのが、浅井長政の祖父、亮政で、小谷城を築城した人となります。

 

その子、久政は、宿敵六角氏と宥和政策を取り、内政を強化していきました。

 

さらにその子、三代目の長政は、六角氏との宥和政策を撤去し、領土拡大を目指しました。

織田信長の娘市を妻にとり、浅井最大の繁栄を誇ります。

しかし、同盟を結んでいた朝倉氏を妻の兄である信長が攻めた時、妻の実家織田家ではなく、同盟国の朝倉と手を結んだことで、織田信長の怒りを買い、4年越しの戦いの上、小谷城は落城し、浅井家は滅びます。

そのさい、長政は自害しますが、妻のお市と三人の娘は落ち延びることに成功します!

(これが歴史のドラマをより重厚なものにしていくのです)

落ち延びたお市達をかくまった寺が実宰院と言います。

 

浅井長政とお市の方

長政の代に小谷城は廃城になり、小谷の町は豊臣秀吉が治める城下町ごと豊臣秀吉が治める長浜に移動し、北近江を支配した小谷の役目は終わるのです。

栄華は一瞬の夢っていう感じですね!

参照:長浜城は豊臣秀吉の出世城!石田三成との逸話も!

浅井長政の妻お市との間に生まれた三姉妹

浅井長政と妻、戦国一の美女お市は3人の娘を産んで育てます。

参照:姫君ランキングベスト10!戦国時代一の美女・妻は誰?

娘の3人共すごい人生を歩んでいくのですが、簡単にご説明しましょう!

浅井長政妻お市

お市

引用:Wikipedia

「戦国一の美女」という代名詞はこの人のためにあります。

色白で鼻筋が通り、面長で美しい顔。

背が高く美しき姿。

聡明で、兄の信長に、「市が男だったら、良き武将になったであろう」と評された

戦国の姫君。

豊臣秀吉に憧れられ、浅井長政との間に3人の美人の娘をもうけ、

2番めの夫、猛将柴田勝家とともに越前北ノ庄城で自害したお市(享年37歳)。

 

小谷城落城の際は、浅井家の血を絶やさない!という思いの元、自害する夫を後に

三人の娘とともに逃げ出すことに成功します。

 

長女茶々(淀殿)

浅井長政とお市の間に長女として1569年に生まれました。

小谷城で父を亡くし、北ノ庄城で母を亡くしてからは、秀吉の側室となり、

豊臣秀頼を産みます。

最期は、大坂の陣で徳川家康に攻められ、1614年、秀頼共に自害します。(45歳)

一時は天下を統一した豊臣家を看取る形で亡くなるのです!

次女初(常高院)

茶々の翌年、1570年生まれ。

茶々と同じく父母を亡くした後、主家に当たる京極家の高次(大溝、近江八幡、大津城主歴任)に嫁ぎ、夫の死後は出家します。

大阪の陣では、豊臣家と徳川家をつなぐ使者として奔走しています。

最期は江戸で暮らし、64歳で没しています。

豊臣方の茶々と、徳川側の江との間で、複雑な立場だったと思います。

でも、3人の中では穏やかな人生を歩めたのではないでしょうか?

三女江(崇源院)

初から3年後、小谷城落城の年、1573年に生まれています。

赤ちゃんの状態で城から逃げたのでした。

生まれたときから波乱万丈です。

2度の離縁を経て、德川2代将軍の秀忠に嫁ぎ、3代将軍家光を産み、

さらに天皇に嫁ぐ和子を産んでいます。

この三女江が、母親お市の浅井家の血を絶やさない!っていう願いを叶えてくれることに

なるのです。しかも日本のトップクラスの階級で!

1626年に53歳で亡くなっています。

小谷城は日本5大山城

小谷城は日本屈指の山城といえ、織田信長に滅ぼされたとは言え、逆に言えば4年間攻撃に

持ちこたえたとみることも出来ましょう。

小谷城

 

メインの入口追手門

小谷城

道の左側には猛将磯野員昌(佐和山城主)の屋敷跡があります。

(磯野は姉川の戦いで、織田信長本隊に肉薄し「員昌の姉川十一段崩し」と言われるほどの強さを魅せつけました。子孫に作庭家・茶人の小堀遠州がいます)

参照:「三成に過ぎたるものが2つあり 島の左近に佐和山の城」の城調査!

小谷城

道の右側の山の上に本丸がありました。

その建物の一部は今でも彦根城に移築して残されています!

シンプルな天守だったようですね!

参照:日本100名城国宝彦根城攻略!井伊直弼の生まれた場所!ひこにゃんは?

その近くに浅井長政やその家族が住んでいた大きなお屋敷がありました。

戦争の最中でも家族は仲睦まじく暮らしていたのでしょう!

 

そして本丸の近くに重臣赤尾清綱の館(城内に家臣の屋敷があるのは信頼の証!)があったようです。

長政が自害したのも赤尾の屋敷でした。

浅井家の息吹が感じられます!

アクセスなど基本情報

小谷城跡

アクセス→JR河毛駅より2キロ

駅からは「こはくちょうバス」が不定期にでています。(200円)

「小谷城戦国歴史資料館前」下車

追手道コース

メインの追手道コースで本丸廻って下山すると急いで1時間以上かかります。

完全に山道なので、その準備が必要とされます。

登山出来る靴、長袖長ズボンは必須です!

熊がでたりすることもあるようです、、、。

参照:岐阜から滋賀まで織田信長と明智光秀と関ヶ原高速体験記!

地図

小谷城戦国歴史資料館

城の麓の小谷城戦国歴史資料館では、小谷城のDVDが流れています。

結構壮大で機能が揃った山城だったことがうかがい知ることが出来ます!

その他、パネルになったQuizや浅井家の年表などコンパクトな作りですが

学ぶことも多いです!

日本100名城のスタンプもありますので、お忘れなく!

参照:日本100名城一覧!全国の城を巡る旅計画を企み中!

営業時間→午前9時~午後5時(入館は4時30分)

休館日→火曜日(祝祭日の場合は翌日休館)

と年末年始(12月28日~1月4日)

入館料→一般300円

最後に

小谷城はその敷地に踏み入れるだけで、パワーを感じられる場所でした。

今ではすっかり寂れた感がありますが、小谷城、浅井家を中心に、また栄えてくれると

嬉しい遠巻きながら祈っています!

駅で色々お話してくださった管理人方にこの場を借りてお祈り申し上げます!

 

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