戦国時代でも1・2を争う美人で知られる細川ガラシャ(夫は細川忠興、父は明智光秀)の生涯を完全解説して行きます!

細川ガラシャとは?

細川ガラシャとは?


父に明智光秀、夫に細川忠興を持つ、戦国時代のど真ん中を生きた女性です。

大河ドラマ「真田丸」では橋本マナミさんが演じていたように、美人だったと言われています。

ゲーム「戦国無双」では美少女キャラだったりします。

元々の名前は「玉(珠)」と言いますが、キリスト教徒になり「ガラシャ」という洗礼名(クリスチャンネーム)を受けました。

今回そんな細川ガラシャを紹介しさらに紐解いて行きたいと思います。

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基本情報(プロフィール)

  • 名前・・細川ガラシャ(ほそかわがらしゃ)「洗礼を受ける前は玉(珠)。名字は、明智(実家)から細川(嫁ぎ先)。」
  • 時代・・戦国時代
  • 出身地・・越前(現在の福井県)
  • 生誕・・1563年
  • 死没・・1600年
  • 享年・・37歳
  • 血液型・・A型説あり
  • 身長・・不明

細川ガラシャの生涯(簡単な年表)

幼少時代

1563年・・越前(福井)で明智光秀と煕子との間に生まれた。(三女)

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青年時代

1578年(15歳)・・細川忠興と結婚(織田信長のすすめによる)

1579年(16歳)・・長女・おちょう生まれる

1580年(17歳)・・長男・忠隆生まれる

1582年(19歳)・・実父明智光秀が本能寺の変で織田信長を自害に追い込み、謀反人の娘となる。その後、丹後国(京都)味土野(みどの)に幽閉される

1583年(20歳)・・次男・興秋産まれる。

1584年(21歳)・・豊臣秀吉の計らいで、幽閉解除される。

1586年(23歳)・・大阪の細川家屋敷に監視される環境の中転居。三男・忠利生まれる。

1587年(24歳)・・夫忠興が九州征伐に行っていて留守中に教会に初訪問する

1588年(25歳)・・次女・たら生まれる。

壮年~晩年

1595年(32歳)・・夫忠興にキリスト教の信仰を打ち明ける

1600年(37歳)・・大阪の細川屋敷で死去

細川ガラシャの生涯

明智光秀の娘として生を受ける

引用:Wikipedia福井県明智神社(細川ガラシャ生誕の地)

明智光秀の娘として越前の国に生まれた細川ガラシャ(このときは明智玉という名前ですが、今回はガラシャに統一します)は、14歳までは明智家の元で、暮らしていました。

母親の煕子も、優秀な女性で、夫明智光秀をよく支えていました。

松尾芭蕉が、煕子を詠んだ歌を残しています。

月さびよ 明智が妻の はなしせん」と夫を支える妻の姿勢に対し尊敬の念を込めてた程です。

細川忠興の正室となる


15歳の頃、織田信長のすすめで、父明智光秀と親交があった、細川幽斎の息子、細川忠興と結婚することになりました。

その後、4年間は、幸せな結婚生活を送っていました。

子供も長女、長男と後継ぎも生まれ、順風満帆に見えました。

両親(明智光秀・煕子)共に美男美女だったので、その血を受け継いだガラシャもまた、類まれなる美人だったのでしょう。

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二人はいい関係を築いていたのでした。

本能寺の変で逆臣の娘へ

しかし、本能寺の変で、ガラシャの父明智光秀が謀反を起こし、逆臣(裏切り)の娘とレッテルを貼られると、夫細川忠興は、お家の存続のため、ガラシャを山奥の味土野に幽閉(逆臣として狙われるのを防ぐ)します。

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愛する妻を守りつつ、細川家を守るにはこれしかなかったのだと思います。

常に普通に会っていた状態から、一転、隠れて会わなければならない状況へとなります。

ガラシャは、閉じ込められた生活の中、様々な不信感(正室の座を降ろされ、不自由な生活を強いるのはなぜ?)が芽生えていったのだと思います。

そんな苦悩を救うべく道として、侍女の清原マリアのキリスト教の話の影響や、夫から聞く、キリシタン大名の話などから、キリスト教への関心が高まっていきます。

夫が出張中に教会に出向く


豊臣秀吉のとりなし(細川家がすぐに裏切らない態度を示したこと。明智光秀の娘との結婚は、織田信長のすすめだったことが理由)で、幽閉を解かれたガラシャでしたが、忠興への気持ちは冷めつつありました。

幽閉されたことへの不信感、そのくせ異常に束縛しようとする病んでる夫からの愛情、それらが絡み合って心は離れ、よりキリスト教に救いを求めるようになっていきました。

そんな時、ガラシャは夫が九州征伐に行っていて留守の最中、教会に初めて出向きます。

三男が病弱だったことに悩んでいた時期でもありましたので。

しかし時期が悪かったです。

豊臣秀吉がバテレン追放令(キリスト教弾圧政策)を出したタイミングでした。

忠興は、九州から帰って知った妻の取った行動に激怒し、急ぎ棄教(キリスト教を信じることを辞めること)を求めました。

しかし、頑としてガラシャは聞き入れませんでした。刀を喉元に突き出されても・・。

これには忠興もどうにもなりません。

ガラシャの心がどんどん忠興から離れていく


キリスト教にハマっていくガラシャに対し、忠興は監視の目(家臣を2人付け、事細かい行動を報告させた)を強めたり、また「五人の側室を持つ」等とわざと話し、ガラシャを苦しめて行きました。

此の頃、ガラシャと洗礼名を受けるのですが、忠興のキリスト教に対する弾圧は激しく、侍女のマリアは鼻をそがれ追放させられています。

厳しいなあって感じます。これにはガラシャも衝撃で、本気で離縁を考え始めます。

しかし、キリスト教は離縁を認めておりませんでした。

我慢するより他になかったのです。

石田三成による人質要求


ときは1600年、日本がまっぷたつに割れていました。

豊臣秀吉亡き後、豊臣家の再興を願う石田三成(西軍)と、新たな時代づくりを狙う徳川家康(東軍)が日本の覇権を巡って争っていました。

世に言う、関ヶ原の戦いです。

関連記事:映画「関ケ原」ネタバレまとめ!戦国武将たちのエピソード5選!

そんな中、西軍の石田三成は、東軍に与する武将たちの妻を人質に取る作戦にでました。

東軍の徳川家康派だった細川家は、この人質作戦の対象でした。

壮絶過ぎる最期

人質を取ろうとする石田三成方の勢力に屋敷を囲まれたガラシャは、もとより生きることを望みませんでした。

家臣に向けて夫より言われていた「妻の名誉に危険が生じたならば、妻を殺し、全員死ぬように!」との言葉に従い、ガラシャは家臣(小笠原)に介錯を願い槍で突かれ、屋敷に爆薬を仕掛け、遺体を残さないようにしたのです。

壮絶過ぎる最期でした。

辞世の句とその意味

その時残した辞世の句は、「散りぬべく 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」です。

意味は「花も人も散る時を心得ているからこそ美しい」です。

まさに、今が一番輝いて死ねる時だと悟って行動に移したわけなんですね。

それにしても悲しい・・。

 

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細川ガラシャの性格

生涯を通じてわかるのは、戦国の時代に翻弄されながら、自分の道を貫き通した女性の生き様でした。

男前の性格!


どんな状況にも動じない、強い性格を持っていました。

こんなエピソードがあります。

ある時、夫、細川忠興が、ガラシャが声をかけた庭師を嫉妬心から手打ち(殺害)にし、その斬った刀の血を、ガラシャの着物で拭った事がありました。

ガラシャは自分の着物に付いた血を見ても全く動じることなく、また着替えることもしませんでした。

数日経っても着替えなかったので、結局、細川忠興が折れて、着替えてもらったということです。

その時の二人のやり取りがまたすごい。

全く動じないガラシャに向かって忠興が「そなたは蛇じゃ」と苦々しく言うと、「鬼の女房には蛇がお似合いでしょう」ときっぱりと答えたと言います。

超短気で有名な、細川忠興に一歩も譲らない性格を持っていたことが分かりますね。

勝ち気で気高い性格

文武両道の明智光秀の娘ですから、気高く育てられた可能性があります。(14歳までは明智家にいた)

母親の煕子も、夫・光秀の経済難を、自分の髪の毛を売ることで切り抜けた、才女でした。

関連記事:西教寺は明智光秀ゆかりの地!墓・辞世の句・煕子伝説・馬の鞍・坂本城も!

その二人から生まれたガラシャですから当然でしょう。

宣教師ルイス・フロイスいわく、「ヨーロッパの王侯貴族を彷彿させるほど優美」という外見も、内面から出る、誇り高き性格からくるものだと思います。


そんなガラシャですが、彼女を取り巻く家族を見てみましょう。

細川忠興と家族・夫

夫・・細川忠興


戦国時代、室町将軍足利家の流れをくむ細川家の当主です。

小倉藩(北九州)初代藩主で、肥後(熊本)細川家の初代でもあります。

戦国一短気とも言われる激しい性格ではありますが、ガラシャを愛していました。

その愛し方はちょっと歪んでいて「ヤンデレ」と言われています。

詳しくはこちらを→細川忠興は妻ガラシャを愛した逸話多きヤンデレ武将!

父・・明智光秀


足利義昭と織田信長に仕えた文武両道の戦国武将。

鉄砲の技術や、教養は当時とても高いものをもっていました。

本能寺の変で、主君織田信長を自害に追い込みますが、その11日後、自らは豊臣秀吉に山崎の戦いで破れ、その後命を落とします。

「三日天下」などと言われます。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公でも話題となっていますね。

関連記事:大河ドラマ「麒麟が来る」主人公・明智光秀まとめ!

細川ガラシャのお墓

そんなガラシャが埋葬されるお墓は?

祟禅寺

大阪の細川屋敷からガラシャの遺骨を探し出した宣教師オルガンティーノが、細川家菩提寺の崇禅寺に納めました。そして、ガラシャの菩提寺となったのです。

公式サイト→http://souzenji.net/

大徳寺高桐院

細川忠興が開いたお寺。忠興、ガラシャの他に、細川家を追放されたガラシャの長男、忠隆の墓もある。

京都観光ナビ「高桐院」の紹介ページ→https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000062

泰勝寺

熊本城主となったガラシャの息子忠利が建てたお寺。ガラシャの隣に忠興のお墓がある。

旅ムック。com熊本「泰勝寺跡」の紹介ページ→https://kumamoto.tabimook.com/page/shinai_kanko/taisyoji.html

細川ガラシャの主な関連作品

映画

利休にたずねよ・・黒谷友香

 

大河ドラマ

真田丸・・橋本マナミ

戦国の美女らしく美貌が光っていました!

江 姫たちの戦国・・ミムラ

嫌っていた夫をも最期は受け入れ、戦国時代の姫らしく壮絶な死を迎える。

最期の表情の笑みは深い。

ゲーム「戦国無双」

雑賀孫市とのからみは楽しい!あっけらかん過ぎるガラシャもまた良いかな。

舞台「ガラシャー真田十勇士」

ガラシャを人質に取ろうとする石田三成の家来を、真田幸村とガラシャの家臣が守ろうとするストーリー。

ガラシャ役の怜花さんの美貌が見ものですねえ。

小説

共通なのは、夫細川忠興からの異常なまでの愛情・独占欲です。

その愛情に苦しみながらも、ガラシャ自らの意思、考え、気持ちと真摯に向き合い、信仰を支えに強く生きた様を描いています。

涙無くして読めません!

司馬遼太郎「胡桃に酒」

 

三浦綾子「細川ガラシャ夫人」

 

細川ガラシャのまとめ

戦国の世に、本能寺の変という日本史最大の事件の主役を演じることになる明智光秀を父に持ち、天下一短気と言われ、とにかく異常なまでに妻を愛した細川忠興を夫に持つ、細川ガラシャを紐解いてみました。

二人の有名な武将に関わりながら、振り回されながら、その大きな渦の中で、自らはキリスト教に救いを求め、信仰することを通じて自分の道を歩もうともがいた人生だったんだと思います。

最期は、自分よりも戦国の女として、命を断ったのでしょう。

散りぬべく 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」の辞世の句のごとく、思いっきり美しく散りました!

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