2019年お城EXPO行ってまいりました!!
昨年行ってとっても楽しかったのですが、駆け足で色々廻ったのでじっくり見れなかったので今年は絞り込んで参加することにしました。
その中で明智光秀の血を引く末裔、政治ジャーナリストの細川珠生さんが講演をされていました。(1000円)
内容が光秀の末裔ならではでしたので、今回お伝えしたいなと思います。
やっぱり直系の子孫の方の話って貴重ですからね。
1、明智光秀から細川珠生さんまでのルーツは?
2、細川家の明智光秀評とは?
3、明智光秀とその娘ガラシャからの現代へのメッセージ
大きくこの3つにおいてお伝えしたいと思います。
1、明智光秀から細川珠生さんまでのルーツは?
細川珠生さんは現在政治ジャーナリストをしながら、細川家のルーツを研究なさっているそうです。
そしてルーツをたどっていった結果、細川珠生さんは明智光秀の血を今日まで引き継いでいる家系であることは間違いないようです。
細川家と明智家とのつながりは?
図のように明智光秀と煕子の間に生まれた明智玉(後のガラシャ)は織田信長の仲介により戦国大名細川忠興と結婚し細川家に嫁ぎます。
その二人の間に生まれた長男細川忠隆の子孫が細川珠生さんだったのです。
しかもこの系列は途中で子供が途絶えることなく続いておりますので明智光秀と細川家の両方の血を受け継いでいるということになります。
※細川家当主を受け継いだのは弟の細川忠利で、この系列には細川護熙元総理大臣がいます。しかしこの家系は途中で養子縁組をするなど、血筋としては途中で切れています。
お話の中で二つの有名な家を背負って生きていくのはかなりプレッシャーもあるとおっしゃっていたのが印象的でした。
では具体的にどのようなプレッシャーがあったのか?
また今でこそ大河ドラマの影響で明智光秀像は「正義の人」、「家族思いの人」、などと見なおされていますが、以前は「主君を裏切った逆賊!いわゆる悪い人」という描き方、教わり方をしていました。
それに対し、子孫の珠生さんはどのように感じていたのか?
この辺りも話されていましたのでお伝えしておきますね!
2、細川家の明智光秀評とは?
1、細川家と珠生さんからみた明智光秀見解
細川珠生さんは幼少時代、教科書で教わる日本史の授業はとっても嫌いだったそうです。
それもそのはず、祖先の明智光秀がとっても悪い奴として教科書に載っているからです。
子供心にとても傷ついていたとおっしゃっていました。
心中お察しします。
でも細川家の中ではそれとは全く逆で、明智光秀は教育者であり、家族思いの素晴らしい人だったと伝えられていたそうです。
実際に娘3人を立派に育て上げ、明智家の棟梁として織田家のナンバー2まで上り詰めた実力、努力は本当に評価に値できるものでしょう。
実際のことは明智光秀に聞いてみないとわかりませんが、細川家に伝わっていることのほうが事実かもしれませんし、私もそう信じています。
2、明智光秀が成し遂げたこと
前半生を放浪の旅に費やしたり、主君を変えながら自らに教養を身に着けていったりと40代に世の資料に出てくるまではほとんどインプットの時代だったといえます。
鉄砲の技術や城づくりの技術、医学や兵法、軍法など様々な教養や実学を身に着けていったようです。
だからこそ丹波を攻略でき、福知山を町づくりから完成し、子供たちも立派に育て上げられたと珠生さんは結論づけています。
実際に丹波は完全に敵地でしたが4年かけて攻略し、福知山は城も含めて善政を敷いていました。
その根底にあるのは「領民を守るぞ!」という意志だったのではないでしょうか?
まさに庶民のヒーローです!
3、本能寺の変が起きた理由とは?
この考えは如実に明智光秀が仕えた主君の織田信長とは違っていました。
織田信長が目指したのは豪華絢爛安土城に見えるような絶対君主のイメージだったのですが、明智光秀は墓石を逆にして石垣に使うなど領民の幸せを願うような城づくりにも現れているように目指すところが根本的に違っていました。
※墓石はケガレているものとの認識。それを逆さにして使用することで聖なるものという意味になる。
要するに織田信長は理想が高く、成果主義者で信賞必罰を徹底して行った人だったので、なかなかついて行ける人が少なく、ついて行けない人に対しては容赦なく切り捨てていくという過酷さでした。
それに比べて明智光秀は軍法もあり最低限のルールは守りつつも、基本的にはチームで仕事を進めるタイプでした。
本能寺の変の前日の話など興味深いですよ。
明智光秀が本能寺の変前に愛宕山で連歌百韻戦勝祈願!くじの結果は?
前半生に貧しく少しみじめで苦労が多かった光秀ならではな考えだったのでしょう!
この目指すところの違いが後々本能寺の変という行動に結びついてしまったのではないか?このように推測されるわけであります。
3、明智光秀とその娘ガラシャからの現代へのメッセージ
1、明智玉(ガラシャ)とその夫細川忠興
明智光秀の子、「明智玉」。
細川家に嫁いだ後、キリスト教の洗礼を受けて名を「細川ガラシャ」。
彼女は明智光秀の3女(4女とも?)と言われています。
彼女の旦那さんは細川忠興。
彼がとっても嫉妬深い男性でした。
ガラシャは忠興に愛されていましたが、ほかの男性と仲良くしたりすることを極度に制限されていました。
その後本能寺の変が起きると、逆賊と言われた明智光秀の娘である玉(ガラシャ)は忠興によって山奥に幽閉されます。
玉(ガラシャ)は悪くはないのに父親明智光秀のせいで幽閉されて自由を奪われてしまうのです。
このやりきれない世の中へのやるせなさが後にキリスト教へ彼女をいざなっていくわけです。
それでも最後は「細川家の敵である石田三成の人質になるくらいなら死を選ぶように」と忠興からの厳しい伝言を実行するようなところもあったりします。
武士の娘として立派に明智家で育てられた証拠だと珠生さんは述べられていました。
と同時に「細川忠興のことを本当に嫌い!」とも仰っていました。
女性としては受け入れがたい行動をされていたのですから当然とも言えますね。
2、現代へのメッセージ
まとめとして珠生さんは明智光秀が現代に残したメッセージとして「きちんとした意志を持って子供を育てる」ことと「人の話を聞いて組織を作り上げること」の2つをあげられていました。
もう少し詳しく見てみましょう。
1、きちんとした意志を持って子供を育てる
明智光秀と煕子の間に生まれた3人の娘が戦国の世を立派に生き抜いた理由として、父明智光秀の生き方、考え方が大いに影響していると珠生さんは仰っていました。
明智光秀が坂本城に住んでいたころ、娘たちも一緒にいたようですが、城に様々な大人たちが光秀に会いにやってきていました。
そのやり取りや行動をまだ少女である娘たちは見聞きしていたといいます。
しっかりと話を聞き、それに対して答えを出していき好奇心の元行動していく父の姿に何か感じ取っていったのでしょう。
親の背中を見させて子供はしっかりと成長していったのですね!
でも私はかなりの部分、母親の煕子さんの影響が大きいのではないかなあって影で思ったりしていますけどね??
かつて貧乏暮らしの光秀を、自分の髪を売ってまでして支えた良妻ですから!
2、人の話を聞いて組織を作り上げること
もう一つは組織の作り方に関して見本になるとおっしゃっていました。
今の時代は織田信長流の強力なリーダーシップ、トップダウンで組織をけん引するよりも、しっかりじっくり話を聞いて、みんなで作り上げていく形の組織作りが求められているのではないか?と。
そのお手本としてはまさに明智光秀はピッタリ!
実際に福知山の治世は領民のために治水工事をし、税金を免除したりと善政を敷きました。
福知山付近の御霊神社では明智光秀を神様として弔っているほどです。
4、まとめ
明智光秀と細川ガラシャ、忠興の血を受け継ぐ細川珠生さんによる講演を聞けたことはラッキーでした。
珠生さんも実はキリスト教の洗礼を受けていて、名前は「ガラシャ」だそうです。
そして本名も「珠生」と明智玉と共通点が多くあるようです。
細川珠生さんの講演は、言葉は力強く、好き嫌いがはっきりしている様子が伝わってきましたが、明智玉(細川ガラシャ)もきっと同じようだったのかなあって勝手に想像しながら講演をお聞きしていました。
大河ドラマ「麒麟がくる」では明智玉(細川ガラシャ)をだれが演じるかは決まっていませんが、(1月15日現在)きっと細川珠生さんのような素敵な方が演じてくださることを期待します!
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