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見ざる、言わざる、聞かざる

この言葉を聞いた事があると思います。

「人の欠点や過ちなどは見ず、言わず、聞かないのが良い」という戒めの意味があります

が、、。

猿

そうです!

徳川家康が祀られている日光東照宮の三匹の猿の像のことです!

引用:Wikipedia

参照:徳川家康公が心底携わった究極の宗教は天台宗!と浄土宗!

 

しかし、その3猿の元祖が実は滋賀県にあるというのです!

 

その場所とはズバリ、、、「日吉神社」に元祖オリジナルがあるというじゃないですか!おおっ!

日吉神社

そしてさらに、その日光の3つの猿の他に日吉神社には、さらにもう一匹いたのです!

 

その猿は「思わざる」です。なんと!

 

 

その「思わざる」とは、比叡山延暦寺18代座主(総監)「良源」の言葉だったのです!

わわわわ!

 

今回は、その3匹の猿の元になった日吉神社と、4匹目の猿「思わざる」について

紐解いて見たいと思います!

三猿「見ざる聞かざる言わざる」の元祖は「日吉神社」「良源」にあり!

この3つの猿(さる)が誕生したのは前述の「日吉神社」と比叡山延暦寺座主「良源」に深く

関わりがあります。

日吉神社

それは、973年に良源が日吉神社の日吉山王権現(神様)に願文(願いを念じた文)を捧げた時

のことです。

 

良源は、権現の使いである猿にちなんで「さる」の言葉を読み込んだ処世訓を作り捧げました。

その処世訓は7つの歌から成り立っていて、「七猿歌」と呼ばれました。

それでは、7つの「さる」の歌をご紹介しましょう!

「七猿歌」

1.つらつらと うき世の中を思うには まじらざるこそまさるなりけり

2.見聞かでも いわでもかなわざるものを うき世の中にまじるならいは

3.つれもなく いとわざるこそうかりけれ 定めなき世を夢とみながら

4.何事も 見ればこそげにむつかしや 見ざるにまさることはあらじな

5.きけばこそ 望みもおこれはらのたて 聞かざるぞげにまさるなりけれ

6.こころには なにわのことを思うとも 人のあしきはいわざるぞよき

7.見ず聞かず 言わざる三つのさるよりも 思わざるこそまさりけれ

 

おおっ!ありましたね!4と5と6の歌に「見ざるきかざる言わざる」を発見です。

そして最後の締めの歌に「思わざる」がありました!

 

なるほど、ここから3つの猿、そして4つ目の猿は誕生したのですね!理解!

更にもう少し深掘りして、何を思ってはいけないかって所を調べてみました!

思わざることとは?

他人の嫌なこと、不安なことに対して思わないってことなのですが、その内容は?

1.怒り

2.恨み

3.ごまかし

4.悩み悩ませること

5.妬み

6.ものおしみ

7.だますこと

8.へつらうこと

9.傷つけること

10.驕ること

の10の悪い心を持たないこと「思わざる」ことが最も大切だと良源は諭したのです!

さすが比叡山のトップが諭すことは違いますね!

 

これで、3つの猿のルーツと、4つ目の猿が何なのか?が分かりました。

 

では、なぜ猿なのでしょうか?ちょっと見てみましょう。

猿は「神猿」と書き、魔除けの象徴!

日吉神社神猿

そもそも猿は全国に生息しています。

日吉神社にだけ生息しているわけでもありません。

しかし、なぜ猿なのでしょうか?

 

それは、ズバリ、猿が神様の使いっていう言い伝えによるものです。

神様と人間とをつなぐ大切なパイプ役としてとっても大事な役割を果たすので「神猿(まさる)」と書いたのです。

しかも、古くから、「魔が去る」や「勝る」に通じ、大変縁起の良いとされていたからです!

 

「魔が去る」ということで言えば京都御所の鬼門にあたる日吉神社は、

元々鬼門・魔除けの守護神として崇敬されていました。

その魔除けの守護神の使いが「神猿」だったのです!!

 

この魔除けの神猿さんのおかげで、京都の都も長い間都として存続し得たのでしょう。

なるほど!

 

それではなぜ、遠く離れた日光東照宮にこの三猿の事が使われたのでしょう?

これにはひとつ、伝説があります。

明智光秀が日光東照宮を作った説!

明智光秀

参照:大河ドラマ「麒麟がくる」ネタバレまるごとまとめ!明智光秀記事一覧(随時更新)

日光東照宮は天海という、天台宗の徳川家康の側近の僧侶の指示の下建てられました。

その、天海が実は明智光秀(もしくはその家臣)だというのです!

なんと!

 

明智光秀は、比叡山坂本の地を治めておりましたし、天台真盛宗の総本山西教寺の檀家ですし、

この比叡山となにかとゆかりがあったのです。

参照:西教寺は明智光秀ゆかりの地!墓・辞世の句・煕子伝説・馬の鞍・坂本城も!

光秀は、この良源の処世訓を知っていたのでしょう。

 

徳川家康は江戸に本拠地をかまえましたが、その鬼門は、正に日光の地。

そこに日吉神社と同じく神様を祀り、その使者の「神猿」を置いたことは、なにか偶然とは

思えないのです!

 

ちょっと気になる方は、こちらの記事もご覧いただければと思います!

参照:南光坊天海僧正の人生とは?正体は明智光秀だった説?!

参照:徳川家康公側近、「天海」が江戸を守った風水の驚愕の事実!

 

猿楽=神楽

猿といえば、猿楽という芸能があります。

今で言う、「能・狂言」です。

これは「神の芸能」と言われていました。

ここからも猿と神がつながっていることが分かりますね!

参照:豊臣秀吉公が愛好した「能」戦国時代のミュージカルの歴史まとめ!

 

最後に

日光東照宮で見られる三猿の起源が滋賀県比叡山にあります日吉神社にあったことが分かりました。

比叡山の第18代座主の良源が、日吉神社に捧げた処世訓に「見ざる聞かざる言わざる」を

見ることが出来ました。

さらに、もう一つの「さる」。「思わざる」を発見することも出来ました。

 

昔の偉い方が残した、この教訓は、今も色褪せずに言葉だけはかろうじて引き継がれていると思います。

是非、言葉だけでなく、その意味も、しっかり理解して、少しでも良い人生を送るのに

役に立てたら良いなと思います!