あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな

 

幕末の江戸幕府大老、井伊直弼が暗殺される2ヶ月前に詠まれた歌です。

雰囲気だけでも、なにか悲痛な感じを受けるのは私だけでしょうか?

 

意味は、「琵琶湖の波が磯をうつように、何度も難題を受けて来た。

国を思い、幕府を思い、全身全霊その難題に立ち向かって来た。

そんな人生に悔いはなし。」です。

 

井伊直弼の人生の決断に、人がどう思おうが、信じ、貫いてきた男の気概が

嫌でも私の心の奥底に伝わって来ます。

 

そんな男井伊直弼がおこした幕府否定者弾圧政策、「安政の大獄」は、

徳川幕府による日本の政治を守り通すために行われました。

 

なぜこうなったのでしょう?

その経緯について、詳しく以下にて解説していきますね!

 

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井伊直弼の半生

まず、井伊直弼とはどんな人物でどのような生き方をしてきたのか見てみましょう。

井伊直弼

引用:Wikipedia

ニートから総理大臣へ

徳川四天王、井伊直政を初代とする彦根藩の13代目藩主、井伊直中の14男として生まれます。

 

14男でかつ側室の息子だった直弼は、養子の貰い手もなく

藩主になる可能性もほぼないといって良い状況でした。

 

藩主の子どもの存在は、長男以外、疎まれたものです。

 

実際、17歳から32歳まで「埋木舎」(埋木とは、自ら咲くことはない木)と呼ばれる邸宅で、

現在で言う、引きこもりのような状態で過ごしました。

要はニートですね。

 

しかし、ただのニートでは無く、国学、茶道、和歌、居合術など様々なものを学び

教養と技術、学を身に着けていきました。

 

一流の文化人であり学者であり格闘家でありました。

あふれる才能の持ち主だったのですね!

 

その後、数多いる兄が養子に出、また次々と死亡し、あれよこれやという間に、藩主の順番が

直弼に回ってくるという奇跡が起きました。

 

引き寄せましたね!宝くじ並みな確率です。すごすぎます。

 

そして15代彦根藩主の座につきます。

彦根城

さらに藩主としての能力に長けていた直弼は、江戸幕府の大老(現在で言う総理大臣のようなもの)

に成り上がるのです。

 

まさにニートから総理大臣になった男と言えましょう。

 

と、ここまで井伊直弼の半生を見てきました。

才能があり、権力をしっかりと振る舞える立場を手に入れた事がわかりますね。

 

それでは、ココから、安政の大獄へ流れるまでの経緯を見てみましょう。

そこには、井伊直弼と真っ向から対立する、水戸藩主徳川斉昭の存在がありました。

水戸藩藩主徳川斉昭との対立

徳川斉昭

 

水戸藩藩主徳川斉昭との対立 ラウンド1(外交)

直弼は大老になる少し前、溜詰(たまりづめ、将軍から家臣に与えられた最高の位)という地位

にいまして、発言力の影響力は強大なものがありました。

 

 

一方、海防掛顧問(外交顧問、外務アドバイザーみたいなもの)だった水戸藩主徳川斉昭

外交に関しては発言力がかなりありました。

(ちなみに徳川斉昭も30歳までニートでした笑)

この二人の考えが真っ二つに割れます。

 

二人の違いは?

井伊直弼はどうだった?

★井伊直弼は開国派(貿易などを外国と出来るようにする。それしか日本に生きる道はない)!

水戸斉昭はどうだった?

★徳川斉昭は攘夷派(開国せず外国を排除する。日本を守るにはそれしかない)!

 

 

交わることのない、水と油です。

かなりの敵対心をお互いが持っていました。

 

水戸藩藩主徳川斉昭との対立 ラウンド2(将軍継嗣問題)

さらにこの二人は、病弱で子どもが出来ない13代将軍、徳川家定次期将軍を決める

問題でも大対立します。

前提条件

次期将軍の指名決定権は、前将軍徳川家定にあります。

なので、どうにかして前将軍徳川家定を取り込み、説得、納得させなければなりません。

井伊直弼はどうしたか?

井伊直弼は紀州藩藩主、徳川慶福を推します。(理由は今の将軍家に血筋が近いから)

徳川慶福を推すグループを南紀派と言います。

作戦一橋慶喜や徳川斉昭を嫌う、家定の生母、本寿院から家定を説得作戦。

水戸斉昭はどうしたか?

徳川斉昭は、自らの息子でもある一橋藩主、一橋慶喜を推します。(理由は慶喜が英邁であるから)

一橋慶喜を推すグループ(松平春嶽、島津斉彬など)を一橋派と言います。

作戦同じ一橋派の薩摩藩主島津斉彬の養女で家定の御台所(正室)篤姫から、家定に説得作戦。

 

 

ガチンコ勝負。

溝は深まるばかり、、、。

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二人の対立の結果は?

ラウンド1、外交問題は、日米修好通商条約を契約した開国派、井伊直弼の勝利!

かなり独断の決定です。

本来は天皇の許可がおりない限り、このような重大な決定を幕府がすることは出来ないのですが、

そこを強行突破で井伊直弼の一存で許可し、開国の契約である「日米修好通商条約」を

アメリカと締結することに成功します。

つ、強い!

 

ラウンド2,将軍継嗣問題も、南紀派、紀州藩主徳川慶福を次期将軍とすることに成功した井伊直弼の勝利!

またもや、井伊直弼の勝利です!2勝目、完全勝利。

前将軍徳川家定は、一橋慶喜を次期将軍にすることを、ほぼ決めていた(篤姫の嘆願もあり)ようなのですが、

井伊直弼と(死ぬ直前の)家定とのやり取りにより、大逆転。

徳川慶福を次期将軍にすると、徳川家定が決定します。

 

何を吹聴したかはわかりませぬが、井伊直弼のやり手ぶりが目に付きます。

 

なれどこのまま、大老井伊直弼の勝利のまま終われば、安政の大獄は無かったと思います。

 

そうは問屋がおろしませんでしたね!

では、何が起きたのでしょう?

 

一橋派と天皇の不満

二つの対立は、井伊直弼側である幕府の勝利により、敗者一橋派の不満は最高潮

 

さらに、開国という超大事な契約を、完全スルーで勝手に井伊直弼にやられてしまった

天皇が超超お怒りモードになりました。

 

そこで各々が取った行動とは?

一橋派

江戸城にいる大老井伊直弼に、普段登城しない日に抗議しに行きました

とにかく井伊直弼に抗議をし、逆転の糸口を見つけるしか無いって感じ!

天皇

現日本の政治のトップである江戸幕府を通さずに、将軍の家臣である徳川斉昭所属の水戸藩に向けて、密勅(正式な手続きを経ていない命令書)を出しました!

内容は、

●日米修好通商条約を勝手に結んだことへのお叱りと詳細な説明要求、

●幕府は攘夷を遂行すること

と超簡単にいうとそんな感じです。

朝廷をないがしろにしやがってっていう怒りの感情が見え隠れします。

(実際には密勅に関わる多数の関係者がいます。反井伊直弼ですね)

 

しかしこの2つの行動が、井伊直弼の怒りの導火線に火をつけてしまうのです。

では、井伊直弼の怒りからの流れを見てみましょう。

 

井伊直弼、一橋派と天皇への怒り!

怒り

一橋派への怒り

まず、一橋派が不登城日に江戸城へ来て、勝手に日米修好通商条約を締結し

たことに対して、直弼に抗議しに来ますが、

政治を乱すとは何事?」と逆に単に怒りを買うだけの結果になってしまいます。

その後でた結果が、

「徳川斉昭・一橋慶喜達に対する隠居謹慎命令!」です。

力業やね~。

これにより、徳川斉昭は水戸に永久に閉じ込められることになり、政治生命

が完全に絶たれることになります。井伊直弼恐るべし!

 

これは序の口、これからますますひどくなっていきますよ!

 

天皇への怒り

これは天皇への怒りというより、天皇を利用して、密勅を出させた人達に対

しての怒りです。

さらに幕府を武力で倒す計画等も同時に見つかり

(これは言い逃れできない!)

それに関わった人たちに対して

井伊直弼は相当怒り心頭!!!

許・さ・な・い!

怒りの対象者は、具体的には、吉田松陰、梅田雲浜、橋本左内、月照、

などなどなどなど、

公家の人達含め、なんと100人相当います。

処刑、遠島、謹慎、とバッサバッサと処分して行きました。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。

ああ、合掌!

安政の大獄を執行した本当の理由とは?

この、井伊直弼の発令により多くの人が処分された出来事を

安政の大獄」といいます。

そして安政の大獄を執行した本当の理由は

一言で言うならば、

幕府を倒そうと考え、幕府をないがしろにする人達に対する

井伊直弼の怒り。すなわち幕府愛!」だったのです。

どんな事をしても、幕府を守り抜く井伊直弼は、それが日本を外国の

脅威から守る唯一の方法だと信じて疑いませんでした

 

力で抑え込もうとする井伊直弼でしたが、力は反発されます。

力で抑え込んでも跳ね返される、この現状を

冒頭の歌のように、波に例えたのでしょう。

あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな

結局最後は大きく跳ね返され、雪降る3月の江戸城桜田門で

井伊直弼は暗殺されます。

そして、時代は一気に倒幕、明治維新へと急ピッチに動いていきます。

皮肉なものですね!

まとめ

井伊直弼と、安政の大獄を見てきました。

政策、考え方の違いから南紀派井伊直弼と一橋派徳川斉昭にわかれ

戦うことになります。

井伊直弼に反発し、幕府を倒そうとする輩を抑え込んだ手段が

「安政の大獄」でしたね。

その理由は、幕府を愛する井伊直弼が、幕府を

攻撃してくる敵を許せないという怒りが最大の理由でした。

幕府を守ることで日本を守るという一つの信念を貫き通した男の信念は

見習うべき所があるでしょう。