海江田信義(有村俊斎)って知ってます?

海江田万里や有村架純とは関係はありません、、、。

薩摩藩士で、幕末から明治に生きた武士であり政治家です。

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引用:Wikipedia

髭が貫禄ありますね!

様々な苦労を重ねてきたんだと思います。

 

大河ドラマ「西郷どん」では高橋光臣さんが演じています!

ちなみに大河「翔ぶが如く」では、佐野史郎さんが演じていました。

(佐野史郎さんは西郷どんでは、井伊直弼を演じますね。有村の弟に殺されるという因縁おおっ)

その他の出演者はこちら⬇

大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!

 

今回は、海江田信義(有村俊斎)がどんな人物だったかを

弟次左衛門が桜田門外の変で井伊直弼を暗殺。

生麦事件でリチャードソンにトドメをさす。

長州藩士大村益次郎との対立。

の部分から紐解いて行きたいと思います。

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海江田信義(有村俊斎)の基本情報

まずは簡単な年表をご覧ください

1832年薩摩藩士有村仁左衛門の次男として産まれる
1833年島津斉興の茶坊主(藩主の雑用)になる(11歳)
薬丸家に道場破りし大山綱良に敗れる
1849年お由羅騒動で藩を追い出され貧困にあえぐ(17歳)
1851年新藩主斉彬のもとで藩に復帰。精忠組結成。(19歳)
1852年水戸の藤田東湖はじめ多くの尊皇志士と出会う

西郷隆盛を藤田に引き合わせたりもしている(20歳)

1858年安政の大獄の煽りを受け月照を保護しながら鹿児島へ帰国

藩主の命令を受け、過激な攘夷行動を慎むようになる(26歳)

1860年桜田門外の変で弟次左衛門が安政の大獄首謀者、井伊直弼を暗殺。水戸浪士と行動をともにした弟雄助が母親の前で自害。(28歳)
1861年婿養子に行き、海江田信義と改名(弟の義理)(29歳)
1862年寺田屋事件で有馬新七を説得に行くも失敗(30歳)
 1862年生麦事件でリチャードソンにトドメを刺す
江戸城無血開城に交渉役として活躍
 1868年戊辰戦争で大村益次郎と対立(36歳)
奈良知事になるが翌年解任
島津久光と新政府との橋渡しを行う
1906年死去(74歳)

大体の流れがお分かりになったと思います。

さて、海江田信義がどのように激動の時代を駆け抜けたのか?

3つの部分から見ていきましょう

先ず一つ目

弟次左衛門が桜田門外の変で井伊直弼を暗殺

弟は桜田門外の変という歴史に残る大事件の隠れた主役でした。

桜田門外の変とは、

安政の大を行い尊皇攘夷志士達をバッサバッサと粛清指示した井伊直弼大老を、

江戸城桜田門の外で3月3日雪の中襲撃、暗殺する事件です。

 

この事件で、井伊直弼にトドメをさしたのが海江田信義(有村俊斎)の弟、有村次左衛門なのです。

 

有村次左衛門は、既に重傷を負っていた井伊大老を駕籠から引っ張り出し、その首を薩摩刀で胴体から切り離し、首を剣先にさして勝鬨をあげました。

しかしその後、彦根藩士小河原に斬りつけられ、重傷を負い、自害します。

 

過激すぎますね、、、。

この一件で弟は尊王攘夷派の英雄です。

しかし、兄は生き延びます。

「愚兄賢弟」と周りには散々に言われます。「そりゃあそうだ」「でも藩主の言うことを聞いただけ

苦しい立場だったと思います。でも生きます!

このことから、あまり派手な事は余り好まない人物なのではと推測されますね。

 

その後、鹿児島へ帰郷の道中、薩摩藩主の父、島津久光の行列に突っ込んだイギリス人を薩摩藩士が殺傷するという事件が起こります。

生麦事件でリチャードソンのとどめを刺す!

生麦事件と呼ばれる事件です。

薩摩藩の大名行列をしている中に、乗馬していたイギリス人4名が突っ込んでいきます。

当然この中に海江田信義(有村俊斎)も同行しています。

当時の日本人からしたら無礼千万。

 

もちろんイギリス人に対し海江田(有村俊斎)たちも馬を降りて道をゆずるようにジェスチャーするのですが伝わりません。

イギリス人たちも不勉強ですね。

当然薩摩藩士は「斬る」という行動に移ります。

4人のうち、リチャードソンという商人がまず薩摩藩士奈良原喜左衛門に斬られます。

さらに鉄砲隊の久木村が切り、落馬し最後、介錯のつもりで海江田信義がトドメを刺します

「きえーーーー!」

薬丸自顕流の猿叫とともに、、。

この、介錯のつもりって所、相手の事を思いやる事が出来たのかなとも思います。

最後にとどめっていうところを見ると弟と共通だったりしますね。

 

そして、時は流れ、戊辰戦争。

長州藩の戦の天才大村益次郎と戦略戦術全てにおいて対立します。

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大村益次郎と対立

舞台は江戸での新政府軍と幕府側彰義隊との戦い、通称「上野戦争」です。

ここで、長州藩で新政府軍の江戸での統率者を任された大村益次郎と海江田信義(有村俊斎)は対立します。

どのように対立したのか見てみましょう。

まずは上野戦争の背景を見てみましょう。

上野戦争の背景

新政府軍が徳川幕府軍を滅ぼしていく戦いを戊辰戦争といいます。

上野戦争は、其の最中、江戸の上野で起こった戦争のことをいいます。

江戸城無血開城

京都、鳥羽伏見の戦いに端を発する新政府軍は、遂に将軍のお膝元、「江戸」まで戦線を進めていました。

 

ここで、江戸を戦火に巻き込みたくない幕府側勝海舟と、それに対し応分の条件を提示する薩長軍(新政府)、西郷隆盛と海江田信義(有村俊斎)が交渉の末、徳川幕府の象徴「江戸城」が無血開城となります。要するに落城し、江戸は新政府軍の支配下に入りました。

幕府側彰義隊

これに彰義隊という江戸の治安を治める目的で結成されていた部隊が大いに不満を持つようになります。

情人を持つなら彰義隊」と言われ、風貌よく、気前が良い人が多く江戸で人気がありました。

初期の頭取(リーダー)は渋沢成一郎(実業家、渋沢栄一といとこ)という所からも推測出来ます。

が、軍隊としての実力は???疑問符です。

彰義隊は、上野寛永寺に立てこもります

一方、新政府軍はどうだったのでしょう?

新政府軍

リーダーは長州藩、大村益次郎(日本陸軍の創始者)です。

はじめ江戸の治安を新政府側で任されていたのが、薩摩の西郷隆盛でしたが、新政府軍に楯突く彰義隊に懐柔策を取っていたので、「生ぬるい!」とその権限を全て大村益次郎に一任する事となりました。

この新たなリーダー大村益次郎と薩摩軍の海江田信義(有村俊斎)はことごとくぶつかります。

どんなことでぶつかったのか?

見てみましょう。

海江田と大村の衝突3選

そもそも性格が真逆でした。

大村益次郎は、蘭学に詳しく、医者であり、長州藩の軍政改革を指導したりといった博学で理論的な人物で、冷静に分析が出来ました。

一方海江田信義(有村俊斎)は、薩摩隼人よろしく豪傑で人情に溢れる苦労人でした。

水と油で交わる所なしです。

意見が次から次へと食い違います。

例えばこうです。

1,江戸城の財宝の処遇

海江田信義(有村俊斎)は、江戸城の財宝は戦争が落ち着いたら徳川家に返納する、という認識。

これは、すでに約束されていました。徳川に対して優しいわけです。

一方大村益次郎は、財宝を全て戦争のために使用しようとしました。

とにかく彰義隊を殲滅させるために必要な軍資金が50万両必要で、その資金に江戸城の財宝を外国の商人に売ることを考えたのです。

敵の資金を使い敵を倒す合理的です。敵との約束など関係無いと言わんばかりです。

 

意見は真っ二つ。

大激突です!

しかし、勝敗は当然のごとく総責任者の大村の方針に決定されました。

豪傑な海江田がむしゃくしゃするのが想像できます。

2,大村の海江田を見下した発言

海江田信義(有村俊斎)には、彰義隊を討ち果たそうという強い意志はなかったようです。

(江戸城無血開城した上で更に幕府側の軍隊を殲滅する事を少し遠慮気味でした)

人情が働くわけです。

しかし、大村益次郎はそんな考えを一刀両断します。

とにかく、新政府軍に楯突こうとする彰義隊は無くしてしまわなければ完全に江戸を制圧は出来ないとの考えでした。

 

意見は真っ二つ。

大激突です。

ココでは、トドメの一言を戦の天才大村益次郎が放っています。

 

君は戦を知らぬ」、、、、と。

 

これには海江田信義(有村俊斎)大大大激怒!

当然ですよね。

議論の場は騒然となります。

何とか西郷隆盛が間に入ってその場を収めますが、更に大きなしこりが残りました。

 

しかし結局は総責任者、大村の意見で彰義隊と上野で戦争が始まります。

3,上野戦争での配置について

戦争の火蓋が切って落とされます。

各藩の配置を考えるのは総指揮者の大村の仕事。

ここでも意見の衝突発生です。

 

海江田所属する薩摩藩の配置は、彰義隊の主力がいて激戦が予想される黒門前。

一方、大村率いる長州藩の配置は、手薄な背面側谷中門でした。

大村的には、一番強い部隊を一番重要な場所に配置した、だけ、だったのですが、、。

海江田信義(有村俊斎)が感じたのは、

なにわしらに大変なところを任せ、自分はのうのうと安全なところにいやがる!

ていうふうに受け取りました。

水と油、、、。

 

そして、戦いの結果はどうだったのでしょうか?

上野戦争の結果

戦いは、50万両で揃えたアームストロング砲を始めとする強力な武器や、幕府側の旗を偽装して援軍を装い近づく作戦など大村の戦術がことごとく当たり、新政府軍は一日で彰義隊を殲滅することに成功します。

この大村のシナリオ通りに戦争が終わった結果海江田にとっては腑に落ちないところではありますがね。

 

しかしながら海江田信義(有村俊斎)の人間味溢れる部分がいたるところに垣間見る事が出来ました。

まとめ

これまで見てきたエピソード。

華々しいものは1つもありませんでした。

弟の活躍と比べられ、リチャードソンの最期死ぬ間際の苦しみから解き放ち、戦の天才に見下される、、、。

けど、なにかとっても人間らしく、愛すべき人物だと私は評価します。

 

こんな、海江田信義(有村俊斎)、好きです!

 

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