川中島の戦いといえば「上杉謙信公対武田信玄公」ですよね!
「越後の龍」対「甲斐の虎」と言われる伝説の戦いです。
なんと5回も戦いも戦いました。
二人の戦争に対する考え方は、ちょっと違いました。
純粋に戦に勝ちたい!誰かのために戦をする!っていう上杉謙信公と、武田家の領土を広げ、強大な王国を築く!織田信長公を倒し天下に号令する!っていう武田信玄公と方向性の違う両者でした。
方向性に違いはありましたが、戦にかける情熱や才能は2人ともずば抜けているものがありましたので、この二人の戦いは、現代においても語り継がれる程の戦になっているのでしょう。
その中でも、4回目の川中島の戦いは、かなり激戦で、両軍の本隊同士が肉薄し、武田信玄公と上杉謙信公が直接対決したという伝説があるくらいです。
謙信が刀を振り下ろすと信玄は軍配でかわすという名勝負でした!(諸説ありますが)
今回は、その第4回川中島の戦いと、その時に食べていたであろう、陣中食を知らべて見ました。
それでは見てみましょう!
川中島ってどこにあるのでしょう?
まずはその戦の現場となった、川中島って言う場所はどこにあるの?
ってことで調べてみました!
北信濃(現在の長野県北部)に流れる犀川と千曲川の間あたりにありました。
当時の川中島は土壌が肥えていて、米収穫高は、越後一国を上回ったそうです。
また、二毛作による麦の収穫もあり、河川からは鮭、鱒の遡上も有り経済的な価値が高かった場所です。
また、交通の要衝であり、戦略上の価値も高かった場所とも言えます。
だから、この地で、5回も争ったわけですね!
川中島の地図です!⇓
では、この川中島で行われた5回の戦の内、有名な4回目の戦いについて見てみたいと思います!
第4次川中島の戦い
引用:ウイキペディア
川中島の戦いの目的は、上杉家側が北信濃の与力豪族領の奪回を、武田家側が北信濃の攻略として戦いが行われました。
5回行われた中で、唯一直接的に大規模な戦いが行われたのがこの第4次川中島の戦いです。
1561年9月10日(現在でいうところの10月終り頃)に行われた第4次川中島の戦いには有名な戦い方が使われました。
まずは武田側の戦い方。
啄木鳥の戦法
武田家の作戦に山本勘助公と馬場信房公が考えた「啄木鳥の戦法」があります。
妻女山に陣取った上杉軍を武田軍の別働隊が啄木鳥のように襲い、山から出てきた上杉軍を武田本隊により一気に殲滅する作戦でした。
しかししかし、武田軍の動きを見抜いた上杉軍はこっそりと妻女山をおり、霧の中雨宮の渡しから千曲川を渡りました。
そして霧が晴れるまでに武田本隊の前に突如現れるのです!
これには百戦錬磨の武田軍も驚き、両軍が入り乱れての大乱戦となりました。
「鞭声粛々夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)
(鞭の音もたてないように静かに、夜に乗じて川を渡りました)
BY:頼山陽「川中島」
車係の陣で攻め入る上杉軍!
さあ!攻める上杉軍は猛将柿崎景家公を先鋒に車懸り(波状攻撃)の陣!
※柿崎景家公といえばかなりの猛将!
どのくらい強いかと言えばこちらを参照ください!
とにかく一気に攻め入りました!
防戦一方の武田軍はなんとか陣を立て直し対応していきました。
守る武田軍は鶴翼(敵全体を包み込む)の陣!
「曉に見る千兵の 大牙を擁するを」(あかつきにみるせんぺいの たいがをようするを)(明け方、武田信玄方は、上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然面前に現れたのを見て、大いに驚いた。)
BY:頼山陽「川中島」
この乱戦のなか武田本陣に突っ込む上杉謙信公は愛馬「放生月毛(ほうしょうつきげ)」にまたがり、名刀「小豆長光(あずきながみつ)」にて武田信玄公と相まみれ、3太刀切りつけたといいます!
そして伝説では信玄公は軍配にて7つの傷を受けたと言われています!(三太刀七太刀之跡)
「遺恨なり十年 一剣を磨き流星光底 長蛇を逸す」
(いこんなりじゅうねん いっけんをみがきりゅうせいこうてい ちょうだをいっす)(しかし、まことに残念なことには、この十数年来、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃(やいば)がキラッと光る一瞬のうちに、あの憎い信玄を打ちもらしてしまった。
BY:頼山陽「川中島」
この二人の一騎打ちは伝説として語り継がれています。(本当にあったかどうかは諸説あります)
この千載一遇のチャンスである謙信公の切込みに対し信玄公はなんとかしのぎます。
そうこうしている間に武田別働隊が本隊の激戦地までたどり着き、形勢は一気に逆転、明確な勝敗はつかず仕舞いでした。
こうして終焉を迎える第四次川中島の戦いですが、結果的には両軍合わせて7000人ほどの死者を出すほどの大激戦になりました。
武田信玄公の弟、武田家の副将格の大きな柱、武田信繁公は残念ながら戦死してしまいました。
※ちなみに、武田の女忍者を統括した望月千代女の旦那様も戦死しております・・・。
関連記事:望月千代女はくノ一忍者で巫女!伝説の隠蓑の術は必殺!?
そんな激戦だった川中島の戦いですが、決戦の場までの道中や山に潜んでいる時など、食事をするタイミングは多くあったと思います。
腹が減っては戦ができぬ!
戦争へ向けて体を酷使するわけですから、食べて栄養やエネルギーを補給しておかなければなりません。
武田軍、上杉軍、それぞれどんなものを食べていたのかをこれから見ていきましょう。
陣中食は何を食べていたのでしょう?
さて、この戦いはお互いに遠征してきているわけですが、その際の食べ物はどうしていたのでしょう?
まずは陣中食の説明からです。
陣中食とは?
陣中食とは戦国時代に戦争の際に食された野戦糧食の一種です。カロリーと栄養を手早く摂取すること、簡易に携行される事、保存性、手に入りやすさや作りやすさを兼ね備えた戦時には無くてはならない食料です。
普段食べている料理よりはより簡素化された食べ物といえるでしょう。
現代でいうとカップラーメンとかカロリーメイトのような簡単にかつ最低限の栄養を補給できるイメージですね。
武田軍の陣中食は?
ほうとう
甲斐の国(山梨県、信玄公の本拠地)では山が多く平地が少ないため水田が少なく主食であるお米が他国に比べ少なかったのです。
なので、かわりに山を切り開き、畑を開墾し大豆や小麦などの粉食を主食としていきました。
陣中食も小麦を使いさらに味噌とかぼちゃなどの野菜を煮込むほうとうを採用したのでした。
このほうとうは消化良く、栄養価高く、手間がかからない一石三鳥の優れた陣中食でした。
これが陣中食で食べれたら戦争も頑張れそうです!
まだ秋が深まる前でしたからちょっと熱かったかもしれませんがね。
戦国時代のカップラーメンといった感じでしょう!
当時の武士たちの想いを馳せながら、ぜひ信玄公ゆかりの味をお試し下さい!
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上杉軍の陣中食は?
かんずり
「寒造里(かんずり)」は唐辛子を雪ではさんで数日おいて甘みを引き出し、柚子や塩を加えて数年熟成させて作る調味料です。
謙信公は濃い味付けを好みましたが、このかんずりも例に漏れずかなり濃く、そして辛口の味付けでした。
舐めるだけでも体が温まり、免疫力がアップしたかもしれませんね!
謙信おすすめ陣中食!
生かんずり 吟醸六年仕込み(85g)
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上杉軍が兵糧食として携帯していたのが、笹団子です。
柿崎公に仕える菓子職人が、地元の食材を使い中国の「ちまき」を真似て作られたといいます。
また、笹が殺菌効果が有り、保存食として優良だったのでしょう。
よく考えられていますね。
そして団子がエネルギー補給に最適だったでしょう!!
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次にお互いに共通の陣中食をご紹介しましょう。
武田、上杉両軍に共通の陣中食「兵糧丸」
「兵糧丸」とは忍者なども携帯していた、ごくごく定番な携帯食です。
小さいながら、栄養も抜群で、保存も長く効くので、戦国の武士たちも重宝した一品です!
これぞ戦国時代のカロリーメイト!
実際に現在でも簡単に作れますので、興味のある方はどうぞ!
最後に
戦国の時代に戦場で食べられた陣中食を見てまいりました。
武田家から「ほうとう」。
上杉家から「かんずり」「笹団子」。
両軍共通の「兵糧丸」。
試しに食して当時の武将たち、武士たちの思いを馳せて見るのも楽しいかも?!
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