日頃、激務な仕事にどっぷり浸かっているサラリーマンの方たちへ!
徳川家康公は今より更にサバイバルな戦国時代を生き抜きました!
そんな徳川家康公の名言や徳川家康公自身を個性心理学を使って分析してみました。
その分析結果はきっとあなたの今の仕事に活かせることでしょう!
★個性心理学って?
生年月日に隠された性格や能力等を統計学に基づいて分析・検証したもの。
「○年○月○日生まれの人は○○な考えが多い」「○○な個性の人が多い」という統計学が軸になっている。
それらのデータをもとに、個性を動物に置き換えてイメージ化し分類することで、行動パターンや特性などをより具体化したものを個性心理学と言います。
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個性心理学によると徳川家康公のタイプは「ひつじ」と分類できるのですが、その接し方も知っていただければ幸いです。
まずは史実の徳川家康公について、簡単にご説明させて頂きます。
徳川家康公を簡単にまとめ
1543年1月31日三河国(愛知県)岡崎城に松平広忠公の嫡男として生まれました。
6歳から織田家や今川家への人質として転々としますが桶狭間の戦いで今川義元公が倒れると、これに乗じて岡崎城へ入城します。
この幼少期から青年期の人質生活は徳川家康公の今後の生き方の軸を決定づけたと言えます。
ここから、三河、遠江(静岡県)を平定し、武田家滅亡後は甲斐、信濃と領地を増やし、大大名に成り上がります。
本能寺の変で織田信長公が自害すると、天下は豊臣秀吉の元に流れ込みます。
北条氏滅亡後、三河遠江から関東八州(江戸)へとお引っ越しがありますが、江戸を中心に徳川家康公は国力をぐんぐん付けていきます。
左遷にも見えますが、今の大東京があるのはこの領地替えがなければありえなかったでしょう。
豊臣秀吉公が亡くなった後、徳川家康公は一気に天下への道へ進みます。
関ヶ原の戦の勝利は天下分け目の戦いで、戦後江戸幕府を樹立、その後大阪の陣にて豊臣家を完全に滅亡へ追い込みます。
江戸幕府の礎を築いた徳川家康公は、75歳の生涯を終えます。
身長は155センチから160センチ、晩年はよく肥えていたようです。
武術全般は長けていて、剣術、馬術、水術、砲術、弓術は一流の域に達していました。
多趣味で、将棋、碁、能、薬作り、鷹狩と多く、またその庇護にも力を入れていました。
というように、ざっくりとご紹介しましたが、日本の歴史にドーーーン!と存在感を出しまくる英雄です。
徳川家康公が居なければ、きっと東京はこんなにも栄えていなかったかもしれません。
そんな徳川家康公を分析することにより得られることは2つ!
1,名言について
2,ひつじ(個性心理学的に)の人の特徴と対策
です!
まずはある名言から徳川家康公を紐解いていきたいと思います。
徳川家康公の名言について
徳川家康公は数ある名言を後世に残されましたが、サラリーマンに必要な2つ取り上げたいと思います。
「滅びる原因は自らのうちにある」
一言で言えば、油断、贅沢、不和、裏切り、、全て味方から起こりそして自ら滅びていくと言うのです。
それを如実に表すエピソードがあります。
天正元年、宿敵の武田信玄公がこの世を去ります。
その前年、三方ヶ原の戦いで大敗北を喫しています。
当然天下取りを目指す徳川軍は誰もが喜びました。
しかし、徳川家康公だけは無邪気に喜ばなかったといいます。
家康公はこういったのです。
「信玄という大宿敵のお陰で軍備を整え、良い政治を行おうと勤めてきた。今後の気の緩みこそ最も気をつけなければならない。平氏を滅ぼすのは平氏、鎌倉を滅ぼすのは鎌倉。恐ろしいのは敵に滅ぼされるのではなく、滅びる原因は内にあるということ。油断、贅沢、不和、裏切り、全て味方から起こる。これからはこれらに注意しなくてはならない。むしろ、信玄の心配よりも大きいだろう。強敵の死は少しも喜ぶことではない。」
と!
成果を挙げたり、達成したり、ライバルが失敗したりと自分にとって有利な状態が出現した時こそこの名言を思い出し自分自身を律しましょう!
さすれば成功も自らの手に転がり込むでしょう!
「余の智慧にあらず候。太閤問わずに語ればなりけり」
元和元年の大阪夏の陣にて徳川家康公は大阪城の外堀を埋める作戦を実行しました。
これが徳川軍に勝利をもたらすことになるのですが、戦争開始直前に、部下へこう語ったといいます。
「この作戦に出たのは、大阪城を築城させた秀吉自ら、”この城は正攻法では何年かかっても陥落しない”と仰せられていたから。そこで私は堀を埋める作戦をおもいついただけよ。」と。
つまり、自分の智慧ではなく、豊臣秀吉公が教えてくれた作戦なのだというのです。
徳川家康公は決して自分の能力を自慢したりひけらかしたりしなかったといいます。
「我天下を修ることは、武田信玄と石田治部小輸お陰にてかようなりし」
徳川家康公らしい謙虚さですが、これが最後に成功する秘訣なのだと思います。
徳川家康公のような「ひつじ」タイプの特徴と対応について伝授!
個性心理学的に分析すると徳川家康公は「ひつじ」となります。
「ひつじ」の方の特徴をご説明します。
ビジネス人間関係に参考にしてみてくださいね。
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徳川家康公の「ひつじ」的特徴
❏寂しがりやで一人ぼっちは嫌い(常に三河家臣団がいました)
❏相談を受けるとすごく嬉しい
❏気を遣われるとすごく嬉しい
❏和を乱す人を最も嫌う
❏客観的に物事を判断する
❏はっきりと物が言える
❏好き嫌いは激しい
❏守れない約束はしない
❏情報収集家(武田信玄公の政策はかなり取り入れていました)
❏信頼すると愚痴やボヤキがおおくなる(身内に対しては多かったです。手指の爪を噛む癖も)
こんな徳川家康公と同じような特徴をお持ちの方が身近におりましたら、ぜひ次の対応法を参考にしてみてください。
実際の現場の方の対応方法を挙げてみますね
❏恋愛ー最高の話し相手が恋人になります(お話好きですね)
❏お金ーケチではなく、蓄財の達人!(将来設計は上手そうです)
❏健康ー気を使いすぎる傾向があります(薬剤師や食生活アドバイザーなど向いている?)
❏タブー①約束を守らないことはNGです
②音信不通になることはNGです
③気配りを欠いた振る舞いはNGです
❏好きなことー①全体の構図を決めてからあれこれ考える事(建築とか街づくりには向いている!)
②興味のあることに全力投球し、自分のものにすること
❏言われたい言葉ー「いい人!」
❏好まれる対応ー話を最後まで聞いて欲しい!
❏旅行の時重視することー誰と一緒に行くか?
❏仕事の役割ー0から1を作り出す仕事(起業家さんに向いていますね)
❏好きなことー色々な所に顔を出し、たくさんの仲間を作ること
以上の特徴を意識して対応していけば、円滑な人間関係を構築出来ること請け合いです!
ぜひお試しあれ!
生年月日が分かればタイプを調べられますので、一度分析されることをお薦め致します。
その特徴が分かれば対処方法も自ずとわかってきますし、理解出来ますね。
その他知りたい武将や、調べて欲しい人がいましたらコメント下さい!お待ちしております!
◇発行責任者
南 昌幸
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