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戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けするブログに

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映画関ケ原で東軍の大将を務めた徳川家康公率いる徳川軍が掲げる旗印「旗厭離穢土欣求浄土」

について調べてみることにしました。

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映画「関ケ原」の役所広司さんは自分的には策を考えている姿と地団駄踏む姿と

豊臣方武将に対して演技する姿はやはり名優だと感じました!!

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。を参考に

映画「関ケ原」公式サイト

 

調べるきっかけは、難しい漢字の連続でなんて読むのか分かりませんでしたし、

どんな意味があるのか、なんで徳川家康公がそれを使っていたのか純粋に気になったからです。

 

西軍の中心メンバーの石田三成公も旗印に「大一大万大吉」という旗印を使っていますが、

大一大万大吉に関してはこちら

その人の目指すところが含まれている場合が多いので、関ケ原に勝ち、日本を統一して

300年近くに渡る長期政権の礎を築いた徳川家康公のポイントを垣間見ることが出来ると思い

記事を書いてみることにしました!

徳川家康

旗厭離穢土欣求浄土の読み方は?

まずわからないのは読み方ですよね?

「おんりえどごんぐじょうど」

と読みます。

口に出してみると意外とリズムに乗って言いやすかったりします。

石田三成公の旗印「だいいちだいまんだいきち」もリズムにのせて

言いやすかったですが、言いやすさは必要ですね!!!

徳川家康公と旗厭離穢土欣求浄土との出会いは?

1560年6月12日に織田信長公が今川義元公を討ち取る桶狭間の戦いがおきます。

(2000人ほどの織田信長軍が、2万5千人の今川義元軍を桶狭間で破った戦いのこと)

 

今川義元公方についていた徳川家康公は、大高城を守っていましたが、今川軍の敗走が始まると

徳川軍も敗走をはじめ、大樹寺に立て篭もります。

 

しかし、その寺も敵に囲まれてしまい、絶体絶命の危機!!

さあどうする家康公!!!

前途を悲観し、一度は自害を決意します!!

 

しかしッ!大樹寺の住職、登誉天室が説得し、家康公は切腹することを辞めたといいます。

 

その時説得した内容というのが!!!

「旗厭離穢土欣求浄土」だったのです!!

説得された徳川家康公は、この文字を旗に掲げ、取り囲んでいた敵達を一掃し、

無事岡崎城に帰ることが出来るのです!

すごいパワーですね!!!

 

 

この日以来旗印として掲げるようになるのです!

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「厭離穢土欣求浄土」の意味は?

徳川家康公を死への道から引っ張り出し、生きる道を指し示したこの言葉の意味!

知りたくなって来ました!

 

どういう意味だったのでしょうか!

 

まず「厭離穢土」は?

苦悩や欲望でまみれた(穢れた)この世(穢土)を厭い離れたい(厭離)と願うことです。

特に戦国の世は、自分の欲望の達成のため人を殺してでも手に入れようとする世の中です。

人に命をなんとも軽く扱われる蔑ましい世の中とも言えます。

そんな世の中は「嫌だー!」「離れたいー!」

というのが「厭離穢土」です。

 

そして「欣求浄土」は?

穢土な世の中からさよならし、浄土の世界(仏の世界)を心から喜んで(欣んで)

願い求めるという意味です!

 

早く、こんな戦国の世などおしまいにしてしまい、浄土の世界に生きていたい!

そういう全うな願いを求めていくことを意味します!

 

至極自然な動きだと思います!!!

 

家康公の心の奥底に、この考え方がかなり入っているから故に

早く戦争のない世の中にしよう!

平和な世の中にしよう!

関ケ原で終わりにしよう!

 

と石田三成公と戦ったのでしょう!

 

まとめ

家康公自身の命を救った説法でした。

この言葉がなければもしかしたら今の徳川家康公はなく、

平和な世の中は訪れていなかったかもしれません!

 

家康公を生かし、戦国時代を終わらせる行動のエンジンとなった

この言葉。

 

覚えておいて損はないでしょう!!!

 

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!