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戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長南昌幸がお届けする

ブログにご訪問頂きましてありがとうございます!

 

今回は、健康の知識がとても多い徳川家康公が、

調合した「薬」について触れていきたいと思います!

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昨今の健康ブームですが、これは今に始まったことではなく、昔からありました。

特に、徳川家康公は、その辺、マニアに近いものがあり、とてもお詳しかったのです。

 

その中で、徳川家康公が、どの程度薬に対して詳しく、どんな薬を調合されていたのか?

 

その辺について書いて行きたいと思います!

 

徳川家康公と薬の出会い

徳川家康

なぜに徳川家康公は健康マニアだったのか?

それは、天下統一し、平和な世の中を築き上げるためには

長生きをすることが必須条件と考えたからです。

 

家康公は小牧長久手の戦いのとき、背中に癰(よう;細菌感染による腫瘍)

を患いました。このときは、無理やり膿を絞り出す事で治そうとしていましたが、

最終的には薬を塗ることで治癒します。

 

この頃から、薬の必要性を特に感じていったのではないでしょうか?

公家からの調薬依頼!

薬瓶のイラスト

家康公の本草医としての腕は高く評価されていて、公家の日野輝資

寸白(寄生虫症)の治療のために家康公に薬を求め、使用方法の指南も受けています。

かなり家康公の実力は高く評価されていたことが分かります!

 

名医徳川家康公!

 

薬剤の専門書「和剤局方」を身辺から離さずに、諳んじるくらい勉強したようです。

その知識を活用し、自分で薬を調合し、自分で病気を治していたようです。

すごいですね!健康でないと天下等取れない!必須条件だったのです!

 

この考えは、現在も通じるものがありますよね!

健康でないと実力はやはり発揮できませんよね!

 

自分が病気になった時には、自分で自分の症状に合わせた薬を調合していました。

 

さらにはその薬の材料になる薬草を栽培するために、駿府城在城時に駿府御薬園(4000坪の規模の薬草の原料になる草園)

を設立してしまいます。すごい、こだわりですよね!

 

さらにさらに、晩年には林羅山(はやし らざん)(江戸時代の御用儒学者)が長崎から持ち帰った医学書「本草綱目」(薬物書です。1,892種類の薬物の元を紹介しています)をもとに、研究会を発足させるなど、どんどん医学の知識を深めていました!

徳川家康公の数十段のひきだしがある薬箪笥(たんす)には、たくさんの薬をため込んでいました。

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研究の結果調合された3つの薬をご紹介したいと思います!

 

其の一、紫雪(しせつ)

この薬は、はじめ吉田宗恂に製剤させたものでした。

宗恂没後、片山宗哲により、子供の義直の熱気の病に用いて回復することに成功しています。

臨床実験みたいなものですね?

また、大病を患った3歳の家光公に服用させたところたちまち治ったといいます!

風邪や癲癇などに効能があり、大名の間に広まりました!

 

其ノ貮、万病円 (マンビョウエン)

これは、名前の通り様々な症状に効能がある、家康公の常備薬です。

特に、癪(何らかの要因で胸部や腹部に生じる激痛の総称)や、腰痛、便秘等に

効果的だったようです!

家康公のもとへ伺候(ご機嫌伺い)するため細川忠興公が突然病に倒れた際、この万病円を服用したところ

その日の内に快復し、家康公のもとに伺候出来たといいます!

すごいですね!即効性もあるのでしょうか?

 

其の三、八味丸 (ハチミガン)

この薬は、家康公の薬箪笥の八段目に保管されていたため、

「八の字」と呼ばれていた常備薬です。

現在も存在し、基本は腎臓や膀胱の症状に効くものですが、家康公オリジナルは

オットセイ」という成分を加えており、回春効果を得ていたようです!

このため、60歳を超えてからもお子様を2人もこしらえることが出来たのではないでしょうか?

お元気です!!!

 

まとめ

 

当時の家康公は、医者にも勝るとも劣らないほどの高度な医療知識を身につけていて

こと、薬物知識はかなりのものがあります。

私達も上手くこの知識を活かして行きたいものですね!

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!