川路利良

引用:Wikipedia

今どきの起業家やラーメン屋よろしく腕組みが決まっていますね!

彼こそは、日本の近代警察の父、川路利良です!

大河ドラマ「西郷どん」では泉澤祐希さんが演じています。

参照:大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!

今回は、薩摩藩士だった川路利良が警察の父と呼ばれるまでの生涯を

見てみたいと思います。

長州藩の豪傑、来島又兵衛を撃ったというエピソードも興味あリマスねええ。

禁門の変で来島又兵衛撃つ!

川路利良30歳の話です。

禁門の変(蛤御門の変)という、天皇を連れ去ろうと京都御所蛤御門に攻め込ん長州軍を、薩摩軍が追い払うっていう戦いが起きたのです。

まだ若き川路利良も薩摩藩士として戦争に参加しました。

そこで川路利良は、大大金星をあげるのです。

それはなんと、長州軍の遊撃隊総督(要するに大将そしてかなりの豪傑!)、来島又兵衛を

狙撃して撃ち落としたのです!

参照:来島又兵衛は遊撃隊総督で大石流剣術の達人!禁門の変で死す!

戦の勝利の法則に、大将を狙え!というのがありますが、まさにそれをきっちりと

仕事した事になります。

薩摩藩の大将、西郷吉之助からは、相当高く評価されることとなります。

結果、長州軍は敗退し、京都から一掃されることになります。

川路利良、持っていますね!

持っていると言えば、運も持ち合わせていました。

参照:薩長同盟の内容をわかりやすく図で解説!坂本龍馬は何をした?

戊辰戦争での川路利良キンタ○事件

戊辰戦争でも破竹の活躍を魅せてくれました。戦の神様がついているのでしょう。

そして神様といえば、川路利良が磐城浅川の戦いの時、股を狙撃されて負傷するのですが、

その時、キンた○袋を撃ち抜かれましたが、なんと金玉自体は無事だったのです。

これは、川路利良が戦争にビビっていなく堂々としていて、袋が縮こまっていなかった(ビビっ

たり緊張したりするときんた○が縮こまるのです)証拠でした。(縮んでいないから玉に当たらず

に伸びていた袋にあたったというわけです)

キンタ○の神様に救われました笑

 

近代警察の父に!

その後、明治維新が始まると、西郷どんの推薦もあり、西欧視察団に選ばれ、欧州の警察を大いに学びます。

その中でも、あの革命児、ナポレオンのもとで警察大臣を務めていた、ジョセフ・フーシェ

を模範とする、フランス警察をモデルに帰国後、日本の警察制度を確立するのです!

 

警視庁の初代大警視(現在の警視総監)についたのは40歳の若さででした。

この年令で警視庁のトップになることは今では事実上不可能となっています。

って位凄い若さで警察組織のトップになり、働いていたのですね。すごすぎます!

 

しかし、その勤務内容は超多忙で、勤務終了後に、交番や警察署を周り、

指導を行っていました。

現在の夜回り先生みたいですね。

そのおかけで、毎日3.4時間睡眠だったようで、、、それだけ命賭けていたのですね!

初めて欧州に渡った際、川路利良は伝説を残しております。

 

この先閲覧注意文があります!気になる方はさっと飛ばしてください

 

 

大便投げつけ事件

明治5年、初の欧州視察のさい、フランスのマルセイユからパリへ向かう列車の中、便意を催した川路利良。

トイレまで間に合わない!さあどうする?

ってときに、新聞の上に大便をし、それを丸めて列車の外に投げたというのです。

大胆すぎる!

と、それが川の中とかに落ちればよかったのですが、運悪く、保線夫(線路を保守する人)に

あたってしまうのです。

すごい偶然です。

そして、その大便をくるんでいた新聞を地元の警察に持ち込んだ所、新聞が日本語だったので、

地元の新聞に「日本人が大便を投げ捨てた!」と話題になった伝説です。

幸い川路利良がの大便かどうかは知る善しもありませんでしたが、、。

閲覧注意終わり!

 

 

西南戦争では西郷どんの敵に?!

西郷どんの推薦で警察への道を歩んでいった川路利良ですが、明治6年その西郷どんと決別する

出来事が起こります。

征韓論です。

征韓論(朝鮮を武力または話し合いで開国させようとするやり方)の中心的存在だった西郷は

外遊から帰国した、かつての親友、大久保利通たちにより時期尚早と判断され、征韓論自体を却

下されてしまうのです。

 

これに憤慨した西郷は、中央政府から離れ、鹿児島に帰ってしまいます(下野)。

この時、多くの薩摩藩士が一緒に鹿児島に下野するのですが、同じ薩摩藩士の川路利良は

警察の仕事を放り出すわけにはいかない!と東京に残るのです。

こうして、かつての先輩、西郷どんとは決別する道を選んだ川路利良でした。

西郷どん暗殺疑惑

その後、鹿児島で、西郷どんの親友、大久保たち中央政府に対する不満が高まり各地で反乱が起

きると、大久保の命で川路利良は部下の警察官24人をスパイとして故郷、

鹿児島に送り込みます。

 

大久保もなんとか、穏便にこの反乱が起きている事態を収めたかったのです。

参照:大久保利通と西郷隆盛との関係まとめ!子孫に麻生太郎発見!

しかし、このコソコソしたスパイ行為が裏目に出ます。

鹿児島に私学校という学校がありました。

西郷どんたちが、不平士族の暴発を防ぐ目的で造られた学校で、主に、漢文の素

読と軍事教練が中心の学校。

大久保も設立に伴い資金を拠出していました。

 

この私学校の生徒たちに、川路利良が送り込んだ中原尚雄はじめ何人かは捕らえられ、

執拗な拷問を受け、ついには、西郷どんを「刺殺」(実は視察の間違いだったとも、、)

しに来たと自白させられてしまいます。

 

これにより、私学校の生徒たちは、スパイを送り込んだ、大久保と川路利良を完全に敵とみなし

ます。(私学校の生徒たちは、もうすでに不満を爆発せずにはいられない状態になっていたので

しょう。また、影でコソコソやるスパイ方式もいけ好かなかったのでしょう。

いずれにしてもこれが西南戦争につながるきっかけになってしまいます)

かつて寺田屋事件で薩摩藩士が同士討ちをした出来事がありましたが、

その再来です。しかも今度は規模が大きい!

西南戦争で川路利良も西郷と対決

鹿児島の中央政府に不満を持つ(特に、大久保と川路利良に!)私学校生を中心とする西郷軍

と、川路利良を司令官とする警視隊を中心とする別働第三旅団は激戦地田原坂で激突。

結果、第三旅団から選抜された抜刀隊により、西郷軍は敗退します。

川路利良はかつての先輩を完全に負かしてしまいます。

これも複雑な心境でしょうね!

戦争の途中で川路利良は司令官を免じられ、警察業に戻っています。

参照:西郷隆盛の年表を簡単解説!西南戦争の理由とは?!

黒田清隆の潔白を証明する!

黒田清隆とは川路利良と同じ薩摩出身の陸軍軍人で総理大臣にもなった人です。

彼の妻が肺炎で急死した際、黒田が酒に酔って出迎えが遅いと逆上し、

妻を斬り殺したと新聞の記事に出てしまいました。(当時黒田は確かに酒のせいで事件を起こしています)

この時、黒田の身の潔白を証明するために、川路利良は大久保の命令で医者と共に墓から棺桶を

掘り出し、中にいる黒田の妻の死体を目視し、病死と決定づけました。

警察の仕事ですから、死体を見ることはそんなに珍しいことではないでしょうが、

なんか、前向きになれない仕事ですね。川路利良さん、汚れ仕事も何のそのです!

最後まで伝説?

明治12年1月には、再度欧州へ警察の視察に出ています。

その船中、咳、痰、喀血の症状が出始め、欧州についてからも診療もしてもらいますが

回復せず、結局、10月に帰国して更に病状が悪化し、死亡してしまいます。

一説によると、藤田組という財閥が、汚職の捜査を恐れて毒殺したとのまことしやかな

伝説もあります、、、。

警察業を徹底的に行なった日本警察の父は、また、敵も多かったのでしょうね!

最後に

警察創設の過程で、相当な仕事量をこなしていた川路利良。

また、大久保利通の命令で、様々な汚れ仕事もこなしていたことが分かりました。

しかし、日本警察の父と呼ばれるだけありまして、警察の在り方を記した「警察手眼」は今でもバイブルとして多

くの警察官に読みつがれています。

なにかとお騒がせした方でもありましたが、今の日本の治安が守られているのは、川路利良の存在は

大きいのだと思います!ありがとうございます!