大河ドラマ「西郷どん」の主人公、西郷隆盛が生まれたのは薩摩藩です。
今のだいたい鹿児島県ですね。
時代としては、江戸幕府の末期で、これから明治に変わろうとしていく時代でした。
西郷隆盛が生まれた時代、その薩摩藩を治めていたのが、島津家で、その島津家家臣団には、武士身分制度がありました。
とにかく薩摩藩は、武士が多いお国です。
人口70万人のうち約4割、20万人くらいは武士という、日本で最も武士の割合が多い藩でした。
他の藩はだいたい武士の割合は2割くらいですね。
(薩摩藩は広大な領地を持ち、他の領地の武士を取り込んできたため武士が多かったのです)
身分をしっかり区分けして組織化しないと治めきれなかったのでしょう。
今回は、そんな島津家(薩摩藩主)の武士の身分制度ってどういうもの?と、西郷隆盛は、どういう身分だったのか?について見ていきたいと思います。
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島津家武士身分制度/上士層・大身分(城下士)
★島津藩主の仕事場所・鶴丸城
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この身分の方は、武士の中でも上級に位置する方たちです。
薩摩藩を実質運営していく側の人ですね。
家格 | 家数 | 備考 | 代表的な家 |
宗家 | 島津氏 | 島津家当主、薩摩藩主、77万石 | |
一門 | 4家 | 藩主親族 | 加治木、垂水、重富、今和泉 |
一所持 | 29家 | 外城持領主 | 日置、桂、禰寝(小松)、肝付 |
一所持格 | 12家 | 外城無し領主 | 伊集院、伊地知、肝付、税所、村田など |
寄合 | 52家 | 一門、一所持の次男,3男が立てた家 | |
寄合並 | 10家 | 寄合相当、一代限り |
島津家当主を筆頭に、錚々たる家格の人達が並んでいます。
薩摩藩では、殿様は神様のような存在で、(実際神として照国神社に祀られている島津斉彬などいますね)絶対でした。
そして、その血筋に関連する家々が上士層でした。
ここの家格からのみ家老(家臣団の長)を出すことが出来ました。薩摩の国を治める仕事が出来たわけです。
大河ドラマ「西郷どん」で出てくる人達で見てみると、
今和泉家からは「篤姫(北川景子)」。
日置家からは「赤山靱負(沢村一樹)」。
桂家からは「桂久武(井戸田潤)」。
小松家からは「小松帯刀(町田啓太)」。
と言った方たちが出ています。
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島津家武士身分制度/平士・諸士(城下士)
一方、同じ城下には住んでいますが、身分が低く設定されている家々です。
家格 | 家数 | 備考 | 代表的な家 |
無格 | 2家 | 嫡家拒否した島津家 | 亀山、山家 |
小番 | 760家 | かつて家老を務めた家の子孫 | 伊東、奈良原など |
新番 | 24家 | 正徳3年に出来た新しい家格 | |
御小姓与 | 3094家 | 下級武士 | 西郷、大久保など |
与力・足軽 | 武士に準ずる者 |
それでも、無格や小番は藩の役職でも、重要な任務に就くこともあったようで、伊東家などは、海上、地上の警察の業務を担当していたようです。
そして一番多いのが御小姓与(おこしょうぐみ)です。
西郷隆盛が生まれた西郷家は、ここの身分でした。
城下士の中でも下から2番めの地位です。
しかし、この身分からたくさんの優秀な人材が次から次へと出ていきました。
御小姓与の説明と、西郷隆盛はじめ、どういう人達がこの身分から出てきたのか、見てみましょう。
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西郷隆盛は御小姓与の身分。他の逸材も!
御小姓の生活
初めに御小姓与の西郷家がどんな暮らしをしていたのか見てみましょう。
3000家以上あった御小姓与の中で、西郷家の身分はまずまず高い方だと言えましょう。
石高を見るとわかります。
御小姓から出てきた偉人
島津家武士身分制度/外城士・郷士(とじょうし・ごうし)
最後に
薩摩藩の武士の身分を見てきましたが、大半の人の暮らしは貧しく厳しいんだなって言うのが見て取れました。
一方、城下士にはきちんとした教育制度があり、人材が豊富に育ったというところも見れました(郷中教育)。
また、島津家は絶対的な権力を持っていたんだなってところもみれました。
島津家は700年以上、薩摩を治めてきた家。
その真髄は、このような制度にもあったのかもしれませんね。
鹿児島の方かと思いましたら違うんですね、すごく詳しく驚いています。当方、鹿児島県薩摩半島の西方海上に浮かぶ甑島(こしきしま)というところの住人です。
大河ドラマ時代考証の原口先生も、なにかというと「西郷は武士の中では最下層の…」でドラマの宣伝に寄り添った説明が多く、島津家武士団の中では「どちらかというと真ん中くらい」の解説を探していたところでした。
7月ごろの松尾千歳先生(集成館館長、ほか)の講演会で「日本の武士の十人に一人は薩摩人」という、これまで聞いた中で一番インパクトのある表現を知りました。当地のような辺境の地にも武士団が住まわされ、無給で防衛にも当たっていたのです。西南戦争への参戦率も死亡率も高い土地です。
また、拝読させてください。 塩田