江戸幕府を開いた徳川家康公。
今回の大河ドラマでも重要な役どころです。

出典:Wikipedia

食べ物は、質素なものがメインで、特に健康に気をつけていたようですね!

今でも充分に使える知恵が満載であります。
なんせ、平均年齢40歳台の中、75歳まで生きたのですから!

そんな、徳川家康公が食べていたスイーツって
どんなものだったのでしょうか?

健康的なものだったのでしょうか?
甘さ控えめだったのでしょうか?

早速戦国時代にタイムスリップ
してみましょう!
Ḡo!!!!!

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安倍川餅


出典:Wikipedia

ドーン。いきなり出てきました!
これは、もちにまぶしてあるのは金粉ですか?
いやいや、黄(金)な粉ですね。

これは、有名な「安倍川餅」です。

江戸時代初期、笹山金山を視察した折、安倍川岸の茶店に立ち寄ったときに献上された和菓子です。

出典:「東海道五十三次~五葉が選ぶ広重の風景画 – 鹿児島県立図書館」HP

それを家康公は、大層喜ばれ、「安倍川餅」と命名したそうです。
余程喜ばれたのでしょう!

生せんべい

出典:Wikipedia

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次に見えるのは何でしょう?
艶々してますねえ。

せんべいはせんべいでも「生せんべい」です!

家康公が桶狭間の戦いの頃、母親の元へ向かう途中、お百姓さんの庭先に干してあったまだ生のせんべいをそのまま食べたらとても美味しく、お城にも献上させたと言われています。

「桶狭間画像」の画像検索結果

出典:yahooブログ『桶狭間の戦い』を行く -桶狭間古戦場伝説地

なんでも、八ツ橋やういろうのルーツと言われています。元祖餅菓子です。

藤八柿

他には、「藤八柿」などがあります。
(イラスト)藤八柿3

出典:藤枝市ホームページ

関ヶ原の戦いへ向かう途中、途次藤枝市の洞雲寺にて藤八というお百姓さんが献上した柿です。

あまりにも立派だったので、藤八柿と名付けて戦地へ向かったそうです。

今も、長寿柿(家康公の長生きにあやかり)などお菓子としても受け継がれています。

各地に出向くたびに、地方の名産を世に登場させていく家康公。

こうやってどんどん取り入れていたからお百姓さんや、商人さんなどからも支持されていったのでしょうね!

 

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!