大村益次郎は、長州藩(山口県)に医者の子として生まれ、、維新十傑(明治維新に特に尽力した10人)の一人に選ばれている偉人です!

日本陸軍の父(徴兵制を立案したため)とも呼ばれていまして、その功績により、靖国神社に銅像があったりします。

下の肖像画が大村益次郎です!

引用:wikipedia

かなり独特なお顔立ちをされています。特に、頭、額などは相当大きく広いですね!宇宙人か?なんて言われることも?!

この頭の中にぎっしり知恵が詰まっていたのでしょうか?

 

大河ドラマ「西郷どん」では、林家正蔵さんが演じています!(肖像画にとっても似ています!)

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ちなみに、1977年の大村益次郎を主人公に描いた大河ドラマ「花神」では、中村梅之助さんが演じています。

※大河の主人公に選ばれたことがあるってすごいですう!

 

子孫には、血の繋がりはありませんが、最後の長州藩主・毛利元親の息子を養子にもらい、実業家になった大村徳敏さんや、益次郎から見て玄孫の日本ヨット協会の顧問になった大村泰敏さんなどが著名です!

今回は、そんな大村益次郎を紐解いて見ましょう!

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大村益次郎年表!

年号出来事年齢
1824周防国大村(山口県山口市)に村医の息子として生まれる
1842シーボルトの弟子の梅田幽斎に医学と蘭学を学ぶ18歳
1846大阪で緒方洪庵の適塾で学び、その後塾頭になる

※福沢諭吉や越前の天才、橋本左内も適塾にいました

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22歳
1850故郷周防国で村医として開業し、村田良庵と名乗る26歳
1851隣村の農家の子、琴子と結婚する27歳
1853宇和島藩に仕え、西洋兵学と蘭学を教える29歳
1854長崎で軍艦製造の研究を行う

※軍艦国産製造一番は薩摩藩でした。大村は2番!

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30歳
1855村田蔵六と改名31歳
1856麹町に私塾「鳩居堂」を開塾し、蘭学、兵学、医学を教える32歳
1857幕府の教育機関、築地の講武所の教授になる

※前年、山岡鉄舟も講武所で剣術の世話役を努めていた

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33歳
1858長州で兵学書の講義を行い、そこで桂小五郎と出会う

※同じく医者の息子、桂小五郎は9歳年下。学んで成長している真っ最中でした!

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34歳
1860長州藩士となる36歳
1864長州藩の明倫館で西洋兵学の講義を行い、製鉄所建設にも取り掛かる40歳
1865軍艦を売るために上海に渡る

高杉晋作が手がける奇兵隊創設などの軍政改革において、大村が指導要請を受ける

※高杉晋作は15歳年下。この頃、クーデターを起こし藩の実権を握った

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大村益次郎と改名する

41歳
1866幕府の第二次長州征伐に対抗し、近代軍建設の責任者となる。

大村指揮する長州軍の、最新武器と最適な用兵使いと、相手の自滅を誘う合理的な戦術で、事実上、幕府に勝利状態での停戦となる

※14代将軍家茂の死去により停戦となる。

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42歳
1868新政府の軍防事務局で近代国軍作りを開始する

上野の旧幕府軍彰義隊らが起こす混乱を、勝海舟から江戸の治安全権を委譲された大村が、一日で鎮める。(上野戦争)

※最新兵器や大砲を駆使して資金力で勝った戦いと言えます。

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44歳
1869明治新政府の軍務官副知事に就任。政府直属の軍隊創設を図る

具体的には、諸藩の廃止、廃刀令、徴兵令、兵学校設置等。

元長州藩士達に襲撃され、最後敗血症で亡くなる

※薩摩の海江田信義の恨みをかったのでは?との噂もあります・・・

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45歳
1893靖国神社に銅像が建立される

この銅像は、力強い凛々しい顔立ち!

※靖国神社の前身「東京招魂社」の建立を献策していたのは大村益次郎です。

※対抗するかように上野に建てられたのが西郷隆盛の像。因縁ですね。

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とざっと、大村益次郎の一生を年表で見てまいりました。

次に、大村益次郎の凄さが分かる名言をご紹介しましょう!

大村益次郎名言!

1つ目、上野戦争で彰義隊との戦いの場においてでの発言です!

上野戦争での名言

上野での旧幕府軍、彰義隊との戦いにおいてのことです。

夜襲ではなく、逆賊は昼間正々堂々と誅伐しなければならない!」としていた大村でしたが、戦いが午後になっても終わらないと、周りの幹部たちが夜戦になってしまわないか?とそわそわし始めました。

 

そんな幹部たちの心配を他所に、大村は落ち着いていました。

なぜなら佐賀藩より借りた、最新式の大砲、アームストロング砲がすでに上野山の旧幕府軍めがけ打ち込まれていたからにほかなりません。

夕方には必ず戦の始末もつきましょう。もう少しお待ちなさい」と幹部に落ち着いた声で平然と柱によりかかりながら言いました。

 

程なく、上野山に火が上るのをみて、「皆さん、片がつきました」と告げ、戦勝の伝令が届くと、幹部は皆感服したと言います。

 

とっても計算高い!幕末最強の軍師でしょう!

同じような逸話が坂本龍馬にもあったのを思い出しました。

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次は、医者としての名言(迷言?)です。ふふふ

ヤブ医者との噂?

実は大村益次郎、医者としての素質はなかったかもしれません。

学問としての医学は博識でしたが、人を見なければならない医者としては「?」です。

例えば、季節の挨拶で、「暑いですねえ」といえば普通は「暑いですね」と答えるのに、大村は、「夏だから暑いのは当たり前です」などと、そっけなく返答してしまうのです。

 

また、塾生が目を患ったときも、「決して薬をつけてはならぬ!薬は付けるものではない!」などと言う始末。

そんな欠点もあるところが愛嬌があって良いと思います!

 

それから、大村益次郎は、先を見越すことに長けていました。

なんと、西郷隆盛が担がれて起こした戦争、「西南戦争」が起こることを予想していたのです。

未来が見えるのか???

その時の名言見てみましょう!

西南戦争を予想する

大村益次郎は、西郷隆盛を全く評価していなかったようです。

上野戦争での責任者交代劇を見ても、手をこまねいていた西郷と幕府のお金を上手く使ったりして戦った益次郎と、くっきりと違いが分れていました。

そんな大村は、西郷吉之助が反乱を起こすとばっちり予想していたのです。

近代化を目指す大村と、士族を残そうとする薩摩人との考え方にそもそも違いがありました。

大村臨終の際に言った言葉「西国から敵が来るから大砲たくさんこしらえろ!」見事的中です!

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また、戦争における考え方が反映された名言ここにあります。

長州征伐においての名言!

大村の戦争の基本的考え方に、自分の兵を損ねないようにし、相手の内輪の瓦解をもって自滅を待ち、そしてかつ!という作戦を持っていました。

そして、前線に立って敵の状況や、土地の様子などを観察することを怠りませんでした。

そんな危険な立ち位置にいることを諌めようとした部下に対し、益次郎が言った言葉は?

決して無闇に鉄砲があたるものではない。死ぬも生きるもその時の運命である」と。

これは、自らの命を天命とおもっている人が言える言葉ですね。その境地がすごいと思います。

 

 

それから、言葉だけでなく、作曲もできちゃう!

軍歌の作曲もやっちゃう!

何と言っても日本初の軍歌を作ったのです!

その名も「トコトンヤレ節」!

すごい題名ですね!

でも本当、トコトンやれ!っていう環境だったのかな?

 

なかなかすごい人だったのが分かってきましたね。

次に容姿。

特に頭について見てみましょう。

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大村益次郎の頭

冒頭にあったように特徴的な相当大きな頭と広い広い額を持っていました。

色んな肖像画ありますが、西郷どんの肖像画を書いたことのある「キヨッソーネ」さんが担当でした。

引用:wikipedia(西郷隆盛隆盛)

キヨッソーネ作

 

引用:wikipedia(大村益次郎)

キヨッソーネ作

まあ、それにしても広々されていますね!

眉毛も凛々しい感じで、だけどちょっぴり目は可愛い感じ?

 

広くて大きい額と頭を持っていた大村益次郎、性格がかなり激しく、高杉晋作からつけられたあだ名が、「火吹きダルマ」です。って、確かにダルマにも見えないことはない!

大村が全く評価しなかった西郷隆盛とは、性格的に真逆かもしれませんね!

二人の肖像画が発するオーラの質が全く違うように感じるのは私だけ?

 

最後に

なかなか容姿は独特すぎるものがあります!

そして医者出身、幕末の稀代の戦略家と言われていました。

名言は、少し冷徹なところも見え隠れしていたりしました。

 

日本初の軍歌の作曲などする所、さすが、日本陸軍の父と言われるゆえんでしょう。

 

兎にも角にも、大村益次郎がいなければ、戊辰戦争の勝敗はわからなくなっていたかも?

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